見出し画像

◎言葉はその身体に向かって書かれる


先日、カフェで作業をしていると、隣に若い二人が座った。
どうやら新人の後輩と、その会社の先輩らしい。資格の勉強をするためにお互い集まったようで、机の上にはテキストが広げられていた。勉強する先輩に、後輩がつまらなさそうに声をかける。

「先輩って、本とか読みますか?」
「え、まあ、普通に」
「まじっすか。すごいっすね」
「と言っても月に一冊とかそれくらいだけど」
「いや十分すごいですよ。私本とか無理なんですよね~」
「無理って?」
「読めなくて。大学の時とかも、課題で読まなきゃいけない本あったらYouTubeで解説動画ないかな~って探して」

……え?

私は、パソコンから顔を上げて思わずその人の顔を見た。
スーツをぴしっと着こなした、よく見かけるような若者がそこにいた。
その人は「文字が並んでるのがもう無理」「読む気なくなるんですよね~」「小説とかも、まとめサイトに上がってるの読んで終わりで」とどんどん言葉を重ねていく。


若者の口から次々と出る「本だるい」発言に、私は心の底から驚いた。
今こんなことになってんのか、活字事情。
若者の本離れはよく聞くけど、まさか小説までまとめサイトにまとめられる時代とは。
でもそれって、誰が、どんな権限でまとめてるの?まとめサイトにまとめられなかった部分は、じゃあその小説にとって一体何だったの…?
ていうか、今は本一冊に付き合えないのが普通なのか。その耐性で大丈夫なのか…!?


そんなことを悶々と考えながら自分の作業に戻る。
上司から返って来たファイルを開くと、私の書いた文章にこんな言葉が付け足されていた。

「→もう少し人を引き付ける表現に変更」

ああああああもおおおおおお!!!!と心の中で思わず声を上げる。
本当に、本当にSEOを意識した文章が苦手だ。Web上で読まれるための文章制作は、今まで自分が書いてきた言葉遣いや構成がほとんど通じずとても苦労していた。
以前メモした、今までもらった修正の案にざっと目を通す。


・短い文章が吉。
・すべてわかりやすい言葉で。
・漢字をあまり使わない。
・文章長くなるなら、箇条書きで書く方がマシ。


それを見ながら、ふと先程の会話を思い出した。
そうか。Webに書いた文章を読むのは、さっきみたいな「文章読むのマジだるい」勢がほとんどなのだ。彼ら彼女らの集中力を切らさずに読んでもらうために、言い回しをどんどん簡単にして、わかりやすい言葉を使うのは当たり前なのだ。


でも、でもよ。
もう一人の自分が言う。
わかりにくいからって、だるいからって、そうやって文章をどんどんないがしろにしていっていいのか。それって怠惰じゃないのか?
多少難しい文章でも、だるい文章でも、ふんばって食らいついてこそ本当のおもしろさってわかるんじゃないのか…?


そんなことを考えながら、「それでも今求められている文章はそういうもんなんだろう」と言い聞かせ、書く。

しかし、5本書いても、10本書いても、修正がなくなることはなかった。圧倒的な自分の力不足を痛感し、凹む。Webの文章ならWebを見て学べということで、毎日ひたすら検索上位のサイトを見たり、解説を見て特徴を学ぶ毎日。でも目に見えてよくなる兆しはほとんどない…。半ば心が折れかけていた頃、上司からある一言のコメントが来た。


「読んでいる人の状況を、もっと具体的にイメージしてみて」


そこで私は初めて、読者が記事を読む状態をじっくりと想像してみた。
すると、ぱあーっと視界が開けてきたのだ。


そうか!
読者のほとんどは、スマホの画面でこの文章を読んでいるのだ!


スマホの画面内に表示される文字は、小さくて明るい。
きっと、その一文字一文字をぎゅっと目に力を入れて見るだろう。もしかしたら字が小さくて引き延ばさないと見えないかもしれない。

文字を引き延ばす指はどうだろう。
スマホやタブレットは、紙のように、ずっと触っていたからと言ってこちらの体温が移ることもないし、指にざらっと引っかかるような感触を残すこともない。つるつるとした画面に指がすべって、文字を追うスピードがどんどん速まっていくかもしれない。


ああ、そうか。
そこでやっと腑に落ちた。
Web上で読まれるための文章は、何も読む人を甘やかすために短く、簡潔になっているわけではなかったのだ。
きちんと、その「読む身体」に合わせた文章に進化していたのだ。


そのことに気付いてから何か一つ掴めたような感覚があって、めっきり悩むことが少なくなった。それに比例するように、修正もどんどんなくなっていった。


文字は、それを読む身体に向かって書かれている。


そんな単純で当たり前なことに、やっと気づいた冬だった。



(もしから②)