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〇広告的に料理を書く、その罪悪感


最近、訳あって韓国料理の記事ばかり書いている。
仕事で書く記事の大半がそうなのだけど、お金をもらって書く記事は往々にして「広告的」なものが多い。広告的とは、つまりアクセス数を稼ぎやすい文章のことだ。


「できるだけキャッチ―に・わかりやすい言葉で・欲望に訴える見出しを」
というような鉄則があって、それを極めていくとどこかで見たような、「なるほどこういう言葉に人はつられるのか~」というような記事が出来上がる。例えばこんな感じ。


「ダイエットにおすすめ!サムギョプサルの痩せ効果3選」
「【大人気】おうちでできるズボラ飯!10分でできる本格チャプチェ」
「韓国美女は知っている!ビビンパは美容のためのスーパーフード!」


どうだろうか。
なんとなく「嘘だあ~」と思いながらも、見たくなるタイトル。そして、思わずクリックして続きを読んでしまう記事。
こういう記事は、読者がくすっと笑えるか、「へえ~」の一言を引き出すことを目指している。そこに人生を変えるような名文はないけれど、誰かのスキマ時間をそっと埋めるような役割を果たすことを目的としている。


コロナウイルスによって在宅勤務になり、飲食店の取材記事よりもこういったアクセス数のための記事を書くことが多くなった。私自身あまり触れてこなかった分野の文章なので、最初はとても苦労した。
語彙も、言い回しも、全然違う。

「楽しみたいですよね」は、「楽しんじゃいましょう!」に。
「魅力的になれます」は、「モテも狙えますよ!」に。

校正が入る度、自分では絶対使わない言葉のオンパレードで直しながらくらくらした。
でも、きっとこういう文章が好きな人はいるし、そういう人のためになるなら頑張ろうと思った。クリックして、その先においしいご飯の情報があって、それを参考に誰かのその日の食事が充実すればいいじゃないか、と。


しかし、数か月経っても全然慣れなかった。
むしろなんだかすごく疲れてきた。
書いているのに、書いているはなから見ないようにしているような、自分が書いているんだけどずっと誰かの言葉を使っているみたいなそんな気分だ。
こういう記事を社会に生み出すことに、そして時間を割くことに本当に意味があるのか。いや意味なんて考えずに書くんだ、誰かはきっと読むんだから、の両極端な気持ちを行ったり来たりする。


そんなある時、とうとう自分の中の何かが崩壊して、「爆笑!飲食店おもしろあるある20選」という記事を書きながら涙が止まらなくなってしまった。


つらい。
なんか、いま書いていることが全面的につらい。
でも、なんで? どうしてこんなにつらいんだろう?
一度手を止めてじっくり考えてみた。


すると、色々出てきた。
読者に何も残らないと思いながら文章を書くこととか、自分は選択しない言葉を使い続けることとか、色々思い当たった。
しかし、本当につらいのはそこじゃなかったのだ。
一番の要因は、「料理の書き方」だった。


心の奥底でずっと、「料理に対して失礼じゃないか」と感じていたのだ。
例えば、食材のある一面だけを誇張して「身体にいい!」とか「ダイエットに最適!」などと言い切ってしまうこと。
言ってしまえば、サムギョプサルなんか全然ダイエットに向いていない。肉なんだからカロリーが高くなるのは当然だ。だけどそういう部分には触れず、「豚肉のビタミンBは脂肪をエネルギーに変える力があります」と書いてしまう、その単純さ。

そして、最も苦しかったのは、「身体にいいから」という理由でしか食べ物を選ばないような、この考え方の順序だった。
もちろん、「痩せるから」「栄養があるから」という理由での料理の選び方も間違ってはいない。けれど、その順序を当たり前にしてしまうと、大切な部分を見落としてしまうのではないかと思うのだ。


先日、東北の直売所である光景を目にした。
直売所の一角で、白菜が山のように並べられ、売られている。
まるでそこが白菜畑かのように大量に並んだそれは、一つ一つが赤ん坊よりもはるかに大きく、片手で簡単に持ち上げられないほど重い。
驚いたのは、その透き通るような白と、葉の表面のつやと輝きだった。
葉の一枚一枚にぴんと張りがあり、水分をたっぷり含んでいるのがわかる。
その内側に潜んでいる水分と甘さ、そしてシャキッとした歯ごたえを想像して、私は思わずつばを飲み込んだ。

そこで、はっと気づいた。
人が「食べたい」と思うことは、本当はこういうことなのかもしれない。
そこには、「白菜にはどういう栄養がある」とか「野菜を食べれば痩せる」という考え方はない。
ただ、その食材がおいしそうで、それをいただくために料理を考える。
それが本来の、私たちの食べ方ではなかったか。


広告的な文章は、その順序をまるっきり逆から再生してしまっている。
そう思いながら、どうにか、どうにかできないかと思いつつ、結局今日も広告的に料理を書く。
こんなんじゃない、本当は違うんだと思いながら。



(食欲をさがして ㊼)