インスタグラムで大失敗した話

 今日の日記は至極単純、文学性も無ければお洒落でもない(普段そうであるかは、ひとまず置いておいて)。今日はSNS、インスタグラムの話。



 まず、これがInstagramアカウント。





 うん、まあ、ふっつーのインスタグラム。実は最近、このインスタグラムで頭を抱えていることがある。



 そもそも、散文や長文が好きなのに、どうして写真がメインのInstagramを開設したのか。それは奇しくもコロナが原因だった。

 コロナが流行し思うように日常生活を送れない中、一つの小説を書き始めた。写真家を目指す女子大学院生の物語。写真家を書くには、写真を知らないといけない。そう考えて始めたのが、フィルムカメラという新しい趣味だった。

 撮った写真を確認できずフィルムの調達も難しく、現像にはお金がかかる。低コスパ高難度のその行為に、あの頃は没頭していた。撮ってはシェアし、また撮ってはシェアする。そうやって、インスタグラムは気が付けば「フィルムカメラ垢もどき」となり、自分が思い描いていた方向とは少し異なる方向で、数字を伸ばし始めた。

 違和感を抱きつつも、数字は増える。フォロワーは毎日増え、インプレッションやいいねの数も毎度「過去最高」を更新していた。その数字の甘さに酔いしれ、小説も音楽もストーリーや投稿でドンドン宣伝した。



 もうお察しの通り、結末は自明の理。ほとんどの人が認知すらしないのだ。


 それも当然、フィルムアカウントとして見られていたから。作家・音楽家でなく、「フィルムカメラをしてて、時々音楽とか色々する人」として認知されていればいいい方だったのだ。セルフブランディングに失敗した、これがインスタグラムにおける大失敗の内容だ。


 前提として、インスタグラムで仲良くなったり作品に触れてくれる方は一定数いる。それは本当にありがたいし、これからも感謝しかない。でも、そこからが伸びない。

 インスタグラムは厳しい世界だ。二日投稿をサボると感覚的にはフォロワーが10人くらい減る、ここでより怖いのは自分も「誰がフォローを外したのか、認知できていない」のだ。それほどSNSにおいて強い印象を残すことは、難しいことなんだと思う。


 最近まで、SNSをお休みしていた。その後インスタグラムのインプレッション数は八分の一になり、ストーリーを閲覧してくれる人は三分の一にまで減った。いいねも数もフォロワー数と比較すれば、見合う数ではないと思う。

 数がすべてではないことも、SNSがすべてではないことも重々承知だ。けれど現代で創作物を発信して評価を得たいなら、こういったトピックを避けることはできない。

 


 一度自分を見直そうと思う。音楽と小説をよりたくさんの人に見てもらいたい、どちらももうすぐ、世に出せる。その時に「もう少し宣伝やればよかった」と、嫌な公開をしないように。


 数が減ることを恐れていたから、思うようなブランディングができていなかった。これからは「作家・音楽家」としてみられるような、西島渚になりたいと思う。




 めっちゃつらつらと、推敲も無しにダサい自分語りをしてしまった。ここまで読んだあなたは猛者だ。


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