社会での二律背反に耐え切れない僕たちを世間はどう見るのか

【仕事を4か月間休んだこと】

仕事を初めて4か月間という長期間休んだ。

それは主に会社に問題のあることだったけれども、何が今後あるかわからないので、それについて言及するのは避けたいと思う。

重要なのはそれで僕が4か月間休んだということのほうだから。

4か月休む中で色々な事を考えた。
色々な事を改めて考えさせられたの方が表現として正確かもしれない。

ようは「知っていたしできているつもりだったこと」が全然できていないし、そこに息苦しさを感じる人は社会において「協調性のない人」とか「根気のない人」としてマジョリティから離れた異端のように扱われていることを知った。

今日は4か月のまとめの意味を込めて、社会の二律背反に苦しめられる僕たちを書いていこうと思う。
書きたいことは書きながら考えているのでところどころおかしなところもあるかもしれないけれど、何か1つでも誰かに伝わればいいと思う。

【何が僕たちを苦しめているのか?】

たとえ話をしよう。

あなたは今海に来ている。

そこには「18歳以上の方はどうぞご自由に泳いでください。それはあなたの権利です。」と書いてある。

泳いでみようと思ったが、周りを見ると実際に泳ぐ人はほとんどいない。
それどころか大多数の人に「あの海で泳ぐなんてのは頭がおかしい」「権利としては確かに泳げるけど、泳がないのが当たり前」なんて言われたりする。

海の周りには自由に泳ぎたい人が声を出しているが聞き入れられない。
そんな風景を子供たちはずっと見ていた。

ここで言いたいのはいわゆる「二律背反(ダブルバインド)」のことで世の中に多数存在していると思う。
男女差別の問題であったり、人権や人種差別の問題、労働基準法と現実の矛盾など解決されていない問題は多数ある。

いや、正確に言えば「建前上は解決している」。
男女差別は駄目だよねと法律に書いてあるし、人種差別にしても、労働基準法を超えた労働にせよ何かしらの法律で規制されている。

ただ男女差別を平気で行っても罰則はないし、人種差別にしても労働基準法違反についても見逃されることが多い。
それどころか「そんな事にガチャガチャ言うのはけつの穴の小さいやつだ」と被害者側への人格批判が行われる場合もある。

僕が思うに、僕らの将来が明るく輝いていないのはこの二律背反をずっと目の前で見せつけられてきたせいだ。

「理想や建前はあるけれども、それは権力の前で簡単にぶちこわされる。それに対して僕ら個人は何の抵抗もできないし、しないほうが緩やかなメリットを享受できる。」ってこと。

皆には個人の自由があって、自分のやりたいことを(ある程度は)自由にしてもよくて、社会の歯車になんてならなくていいんだよ!!
と最低でも16~18年間は言い続けておきながら、働き始めた瞬間に「それは子供の考えだよね。大人なら生きるために<我慢して>働かなくちゃ。」と考えの方向性を180度改めることを求められる。

なんなんだ。それなら最初から「あなたたちの大多数は夢に破れていずれ社会の優秀な歯車になるための人材です。」と育ててくれたほうが、よっぽど「ああそうなんだ」と受け入れられた気がする。

「あなたの権利を保障します」という建前と、「あなたに権利は与えません」という現実が二律背反しているのが僕らの苦しみの元なんじゃないだろうか。

【僕がトランプ政権誕生時に感じたこと】

この二律背反の苦しみは日本独特のものなんだろうか?

いいや、僕は違うと思う。

トランプ政権が誕生した時、僕はいわゆる底辺(いい表現が見つからなかった、侮蔑の意味はない)から上流リベラルへの反逆が起きたのだと感じた。

つまるところ、「いくら教育しても人種差別なんてなくらねえし、俺らの職を奪われてまでも外国人の手助けなんてしたくねえよ。そう発言することだって俺らの権利だろうがよ。」ということを言いたがっているように見えた。

上流リベラルやハリウッドスターは遠くのアフリカ人を助けても、近くのアメリカ人を助けてくれない英雄気取りだ、それならトランプの方がいいと思ったのだろう。

そしてこの「貧困アメリカ人の悲鳴」を上流リベラルやハリウッドスターは理解してあげられなかった。
逆にお金があり更に教育を受けた人が繰り出す「批判」で答えた。

「トランプを支持する奴なんて何の教育も受けていない貧乏なやつばかりだ。そういう正しくない結論を導く層のせいでアメリカの政治はゆがめられているんだ」

こんな風に本気で考えていた(いや現在進行形で思ってるんだろう)と僕は思っている。
少なくとも暗にそういわれたと感じた層が多かったからこそ、当時トランプが勝ったのだと僕は思っている。

そして貧困なアメリカ人も「人種差別はいけないことだからできればやりたくない。だけどあいつらが職場に来ると俺らはやめさせられちまう」という二律背反に苦しんでいたのではないだろうか。

そういった思想的に偏っていないトランプ陣営の層の票が今回のコロナウイルス問題をきっかけに、バイデンに流れた。だからバイデンは勝った。と僕は思っている。

ただこういった思想的な分断はまったく解決されていないだろう。
むしろ上流リベラルやハリウッドスターの「俺らの気に入らない奴は歴史上最悪の大統領だぜ」という態度に、一定数は不信感を更に増しただろう。

「自由な言論が大事、ヘイトスピーチなんてやめましょう!」と言ってきた上流リベラル側から「あいつはヒトラーだ、やめちまえ。」といった矛盾した意見をあれだけもらったのだから無理はないだろう。

この上流リベラルの態度は日本の菅政権でも同じだ。
僕はそれを冷ややかな目で見ている。

彼らの思想が受け入れられる、受け入れられないの話ではなく、そういった態度の矛盾におかしさを感じているのだ。
そしてそれを誰も指摘しない世の中に生きにくさを感じている。

【セクハラ問題や女性専用車両、女性の自立は男性とも無関係ではない】

セクハラ、女性専用車両、女性の自立などから女性を助ける法律や案が今までにたくさん採用されてきたのは自明だ。

だけれども、僕がそれについてより深く意識するようになったのは最近だ。

それは僕が仕事を休むはめになったこととも関係しているのだけれども。

例えば「どこまでがセクハラかわからないよね」という話を男性同士でしたことがあった。
今考えると、明らかにそのおかしさがわかる。

「特に親しくない人に対して性的な話題を振ることや容姿について言及する必要が仕事において存在しない」という目線に立てていない。

仕事の時は仕事の話だけしよう、仕事を円滑に進めるためのコミュニケーションと言えるものだけとればいい。

これを多くの男性が本当の意味で理解しておらず、
「どこまでかセクハラか??」なんていうボーダーを無理やり設定しようとしていることに気づいた時、女性がいかに苦しい立場に置かれているかを少しだけ理解した気がする。

これもまた、社会からの二律背反だと思う。
「セクハラは許さないし、教育もしっかりしている!!」とうたう会社からもセクハラがなくならない、おまけに上司だから何も言えない、という状況に苦しんでいる女性は多いだろう。

また、男性社会的な性的マウントや、男性だから下ネタを振ってもいいという決めつけからくる言葉なども非常に考えさせられた。
これを意識してから、僕は性で笑いを取ることをかなり意識してやめた、それがいつ無配慮な言葉として受け止められてもおかしくないからだ。
セクハラは女性だけの問題ではない、男性も救われるのだ。


女性専用車両に関しても「あれは逆差別だ」という意見がみられることがある。

僕もそれを真剣に議論していたことがあったし、なんなら男性専用車両を導入することも手なんじゃないかと思っていた。

彼女とこの問題を話し合う中で、ぴしりと言われたのが、

「そもそもあんな環境で通勤しているのがおかしい。女性に限らず男性だって負担でしょ?そんな中で痴漢が起きたから女性専用車両ができただけ。」

というような内容の発言だった。

僕は本当にこんな子が恋人でいいのかと思うくらい、衝撃を受けた。
自分が社会の歯車になる中で忘れてしまっていた視点を、「ここにあるよ」と置いてくれた気がした。

こういった社会問題に関してお互いの人格批判なく深く議論できるというのが、僕が彼女を尊敬している1つの要素だと思う。


最後に「女性の自立」について。

これに関しては僕もそんなに考察を深めていない。
真の女性の自立とは??となることもある。

ただ、今まで書いてきた諸問題から考えるに、女性の自立という問題は既に女性という性別を超えるべき問題となっているのではないだろうか。
つまり「個人の自立」もしくは「個人の自由」といった問題として取り扱うべきだと思う。

「女性の」という単語だけで拒絶反応を起こす層もいるので、これは議論を建設的に行うためにも必要だと思う。

男性とか女性に関係なく、個人には守られるべき尊厳があるんですよということを伝えていきたいと思う。

【今の子供は喧嘩の仕方がわからないという理屈の社会の二律背反】


若者は日常的に二律背反に悩まされていると僕は思っている。

例えば、今の子供は喧嘩をしたことがないからいざ喧嘩をしても加減がわからないからやりすぎる。
といった意見を聞いたことはないだろうか。

ちなみに子供が壮絶な喧嘩をしなくなったのは、大人が子供の関係に割り込んでくるようになったからだ。(少なくとも僕はそう思っている。)

それは教師などが自身の身分を守るための防衛行為でもあるだろう。
「喧嘩を見過ごす教師」と周りから思われては仕事がやりにくい。

大人は子供の社会に簡単に割り込んで意見することができる。
そして「言いっぱなし」なのだ。大多数は。

無責任に言うだけ言って、はいさよならができてしまう。
論理の証拠は出さなくてもいいし、後の検証で論理に矛盾が見つかっても絶対に謝らない。
(まあだからといって親や教師を別に憎んではいない。)

僕はこの大人(社会)の無責任さを2000年代に見た。

僕は当時、ハルヒやらきすたやKey系作品が大好きなオタクだったし、周りはオタク=気持ち悪い将来の犯罪者予備軍みたいな認識だった。

けいおんとマクロスFで時代が変わり、逆に僕が自分がオタクであること(オタク=気持ち悪いという評価を受けること)に悩み始めたころ、オタク文化は日本の誇れるポップカルチャーになってしまった。

コロッと周りは手のひらを返したが、オタク差別に関する謝罪はまったくないし、今でもエロゲーを持っている犯罪者がいたらメディアはわざとエロゲーを映して、オタクの中でも特にこのオタクは気持ち悪い犯罪者予備軍ですから皆さん注意しましょうねと未だに強制的にレッテルをはってくる。
エロゲーなんてものは1兆種類くらいあるエロの1つでしかないのに、なぜ差別するのか?風俗は健全なのか??

アイヌや部落問題も真っ青なオタク差別に対して誰が手を挙げただろう?
これは100年前の今となってはどうにも手が出しようのない問題でなく、たった10数年前の話なのに。

そのころから「個性は人それぞれ」なんて言われていたが、僕らは差別されてたよな、というのが当時のオタクの共通の認識だと思う。
それに対して今更謝罪と賠償を要求する気はない。

ただ、社会には二律背反があるんですよ、という例にしたいだけだ。

【結局僕らは二律背反が苦しいんじゃないだろうか】

この二律背反への苦しみが、若者の政治への無関心として表れているのではないだろうか。

誰でも貧困になったら生活保護が受けられるはずなのに、受けられなくて死んでしまったり。

皆の個性を大事にするはずなのに、大事にされていなかったり。

セクハラは駄目なのに、起きていたり。

そしてそれをダメといっても、社会は「まあそういうもんだから。もめごとは起こさず流してこうや。」と求めてきたり。

こういったものを突き詰めた先で、きっと僕を含めた若者は

「どうせ変わんないし。」

と感じてしまうのだと思う。

以前僕は竹中平蔵のBI案について、数人の障碍者や高齢者と意見を交わしたことがある。

そんな中で、若者であるあなたの意見も聞き入れるが、現実を変えたいなら選挙やデモに行くべきだよということを言われた。

僕はうるせえ老害このやろうな気持ちでいっぱいになった。

この社会はあんたたちが作った実効性のないルールでおかげさまでいっぱいだよ。社会なんて変わらないよって散々暗に諭してきたくせに、学があるふりして選挙に行けだのデモをしろだのうるせえ。

というのが僕の本音だった。
(もちろんもっと理性的な内容を当時は返信している)

若者に選挙だのデモだのに行けの前に、あなたたちは

校則で2ブロックが禁止されたり、髪を染めると染め直しを命じられたり髭を毎日そってくることを義務付けたり、便器を素手で掃除させたりといったおかしな校則を自分たちで修正して、

ごめんなさい。私たちがおっぱっぴーでございました。と頭を下げるべきだ。

「個人の自由」を教育しておきながらそれに反する教育も同時に行って、二律背反を経験させて苦しい思いをさせてすいません。
早急に対処させていただきます。(ペコリとお辞儀)

これができないから、若者は選挙やデモに永久に熱を持つことはない。

と、僕は思っている。

だって必要のない校則ですら自分たちの手で変えることを許されない。やる意味がない。

だから僕たちはたぶんあと少なくとも10年か20年くらいは、社会や大人に(僕もその大人なんだが)苦しめられると思う。
そして、僕たちがもし声を上げでもしたら

「めんどくせえ。まじ〇ねよ」といった態度を取られると思う。

でも僕は率先して嫌われたいと思う。
意見を述べたいと思う。

べつに後で、意見を言わなかった私たちはバカでしたなんて謝罪は求めない。

ただシステムとして「この国はきちんと変えていける」という認識を皆が持てるようになればこれ以上幸福なことはない。

なぜなら「この国は皆の力で変えていける」という民主主義という政治の根本でさえも「言ってもどうせ変わらない」になってしまっていて、そこでも僕らは二律背反で苦しんでいるはずだからだ。

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