【ゲーム分析】「信長の野望」は何のシミュレーションなのか?(後編)
コーエーの「信長の野望」シリーズは、人気の高いストラテジーゲームです。
しかし、シミュレーションゲームでもあると考えた場合に、果たして何をシミュレートしているのかという疑問にぶち当たりました。
その疑問を解き明かす過程を考察してみたいと思います。
(前編はこちら)
アナログゲームの場合
前編で提起した「指揮官の数の問題」と「武将の個性の問題」を同時に解決していた(というか、もともと持っていなかった)ゲームの代表者が、例に挙げたボードゲーム「戦国大名」(エポック社)です。
なお、「戦国大名」のデザイナー黒田幸弘氏はコンピュータゲーム「天下統一」(システムソフト)のデザインもされているので、実際にアナログとデジタルの違いをどのように意識して活かしたのか、筆者の一面的な切り口ではとても説明しきれないであろうことは、はじめに書いておきます。
「戦国大名」では、36名の戦国武将が実名で登場します。もう一度書きますが、36です。(戦国大名 (ゲーム) - Wikipediaでは35となっているが、松永久秀が抜けていて、正しくは36)
このゲームにとって実名の戦国武将とは、セットアップ(つまりシナリオ開始時)のリアリティを補強するために名前を借りるだけの存在なのです。
ゲームが始まってしまえば、必要になるのは部隊を移動させるための指揮官であって、それは無名武将(知名度がないという意味ではなく、名前の欄が本当に空白)でも事足ります。
ただし、たまに実名武将が登用できると意外性を生むという効果を期待して、何人か特徴的な戦国武将の名前を入れているようです。
(例えば、戦死しないで必ず生き延びる「山中鹿之介」や、登用するには財力が必要だが威信を上げてくれる「足利義昭」など。)
いずれにせよ、実名の戦国武将を数多くゲームに登場させることは必要条件ではない、と判断していたことは分かりますね。
それでは、個性の面つまり能力値はどうでしょうか。「戦国大名」では、最小値が0で最大値が5の6段階評価になっています。
これであれば、誰それと誰それのどちらが上かではなく、どちらもすごいという評価ができる。そして、すごくない(例えば6段階で1の評価すら与えられないような)人はいなくてもよいことになってきます。
このことは、実に重要なことを意味しています。
コンピュータゲームで、例えば「可児才蔵のような一騎駆けの武者」や、「宮本武蔵のような武芸者」「古田織部のような茶人」などが数千・数万の大軍を率いることに疑問を持ったことはないでしょうか?
もちろん、武将の階級によって統率する兵数に差をつけるような工夫をするゲームはありました。
そうすると今度は、小部隊をわざわざプレイヤーが操作することに意味があるのかと思えてきますよね。
その感覚は、当然です。
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貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。