見出し画像

【読書感想文】朝が来る/辻村深月

あらすじ

第一章~第四章で構成される作品。

全くあらすじを確認せずに読みはじめたので第一章を読む限りではどんな話なのかはまだ掴めなかった。後半を読み進めるにつれて、この序盤のテーマの捉え難さこそがこの小説の構成上重要なポイントなのだということがわかる。

武蔵小杉のタワーマンション34階に住む3人家族の主婦の視点から物語は始まる。同じマンション住民と同じ幼稚園に通う子ども同士のトラブル。陰湿な現代のムラ社会のようなものをテーマにした物語なのかと思いきや何か物語の本旨ではないような気がする。

続いて、第二章は、過去の物語。第一章の最後で明らかにされた真実の深堀。主人公夫婦の不妊治療、息子の朝斗が家族になるまでの物語。第一章とは、また違う題材の話に感じる。ここでも、まだ物語の本筋が見えない。

続いて、第三章。このあたりから、一気に物語に引き込まれたのは私だけだろうか。
視点はこれまでの家族とは違い、一人の女子中学生に移る。片倉ひかり。

生まれたばかりの赤ちゃんを第一章~第二章で中心に語られた家族に養子として預けた中学生。

本音を避けた家族との会話をはじめとした雰囲気に違和感を抱えており、親から言われる「ひかりのために」という言葉の空虚さに辟易とする。みんな自分のことしか考えていない。

「○○のために」という言葉は結局自分を守るための言葉でしかない。「私は○○と言ったじゃないか」という何かあった時のための保険。というより、何かあった時に自分が安心できるために。そこに本当の責任や思いなどというものは存在していない。それが手にとるようにわかる気持ち悪さ。

誰もが良い子にしているように振る舞うが、そんな他の子どもたちと自分は違うと思いたくて。ある時、女子から人気があるバスケ部の男子生徒から告白を受けたひかりは、そんな周囲とは違った自分をこの男子生徒との関係から感じることになる。自分だけが大人びていて、家族も知らない自分。

そういったもう一人の自分は、抱えていた空虚感を十分に埋める。しかし、それと引き換えに普通というレール(というものがあるのであれば)から外れることを意味していて。

予期せぬ妊娠。栃木から広島での寮生活。そこで出会ったさまざま事情を抱えて、寮生活をしている大人の女性たちとの関係。お腹の中にいる赤ちゃんと一緒に見た広島の海。そこでの生活はレールに沿った先にあったものではなく、ひかりの目には全て新鮮に映り、心の中に刻み込まれる。

生まれたばかりの赤ちゃんとは、退院と同時にお別れすることになる。養子を受け入れる家族とは、ホテルのロビーで挨拶を交わした。その時、ひかりは伝えたい言葉が出てこない。自分のなかでもどういった感情なのか言語化できていない、ということなのだろう。

その後、ひかりは栃木で「これまでと同じ生活」を送ることになるのだが、そこにあったのは「これまでと同じ生活」ではなかった。

広島で生活した記憶はひかりの頭だけではなく、体に至るまで刻みこまれており、周囲がどうしても幼稚に見える。さまざまな事情を抱えて自立した大人の女性に囲まれたあの時の生活。次第にいわゆる「非行」に走るようになるひかりは、ある日家を出て、広島の施設に向かう。

広島の施設、新聞配達、ホテル清掃。仕事を転々とし、生活拠点も変わる。身に覚えのない借金の保証人にさせられその取り立てから逃れる日々。お世話になった人のお金に手を出してしまい行き場を失う。堕落。精神的にも身体的にも生きる希望が見いだせないひかりは、最後に我が子が住んでいる家へと向かう。

一度は、生みの親だと信じてもらえず、追い返されたひかり。最後の希望さえも叶わず、人生を終わらせようとしたときに、物語は希望を提示し、終わりを告げる。誰かの中に行き続けていた自分の存在を知る。


感想

親子や人間関係のかたちとはなんなんだろうか。血のつながりの意味。そういったものを考える。偶然にも血のつながりの話が「そして、バトンは渡された」から立て続けに。

https://note.com/nm777/n/nb474074f46eb

我が子とは高校生のときに切り離されたと思い込んでいるひかりと、「広島のお母さん」という名で息子にその存在を与え続けた家族。この世の中からつながりを失い、自分の存在を感じることができなかったひかりは、他人の中に世界に存在し続けていた自分の姿を見つける。

自分はどうやってこの世の中に居場所を見つけて、他人との関係を築いてきたのだろうか。おそらく無自覚でできていたときと自覚しなければできていなかったときにわかれるような気がする。それはいったいいつからだっただろうか。

中学2年以降には既にそのような状態になっていたような気がする。小学校まではそんなことをあまり気にもしていなかった。家族は当たり前だが、友人は当然自分のことを受け入れてくれると信じ込んでいた。連絡もせずに、友達の家に「あそぼー」と訪問できたのはそれがあったからだろう。そこに疑う余地なんてなかった。

中学3年生のときにはすでに学年、クラスにおける人間関係やその中における自分の位置みたいなものを強く意識していたような気がする。誰とでも気軽に話し合うことは難しく、周囲の目を気にするようになっている。思春期といったらそれでお終いになってしまうのだが、仲良しグループになぜか階級なようなものまでできてくる。

高校生になるとそれはさらに顕著になり、僕の場合はある種の陰湿さみたいなものはそこにはなかったが、それでもみんなが縄張りを作ってそれを誇示しようとしているそんな感じがすごく嫌だった。

これらの中高時代に生じた「ある種の関係性への移行」に僕はうまく対応できなかった。居場所がなかったわけではないがそれは完全に表面的に必要な居場所でしかなくて、本当の僕には必要がない場所であった。

何かその中心に入ることができなくて、次第にそんな自分を正当化するために、どんどん客観化して自分の周りの世の中を観察するようになる。そうすることで、致命的にならない程度に表面を取り繕うことだけがうまくなっていく。

その証拠に僕は卒業と同時にほとんどの人と連絡を絶つ癖がある。本当に必要としていないからだろう。

今でもそれほど友人付き合いは良い方ではない。大学、前職とほとんど今も連絡を取り合っている人はいないし、それでいいと思っている。社会人交流会的な集まりに参加したこともあったが、いつもどこかなじめない気がしている。それでも、自己訓練だと思いそういう場には定期的には参加するようにしている。

既にどこかで自分の中でもわかっている。そういった繋がりを自分が欲しているということを。ある時に他人の中に自分が生き続けていることを実感したときの喜びを。

でも僕は不器用で勇気がないから、自分からそういった機会を創りだすことが苦手だ。それでも、誰かの中で僕が生かされている分、僕の中で誰かもしっかりと生きていることを伝えなければいけないな、とは思っている。それはとても素晴らしいことだから。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?