見出し画像

【読書感想文】拝啓 人事部長殿/髙木一史

人事の端くれとして、読んだ。

著者の言っていることはごもっとも。わかる。たぶんそうだ。僕も同じように当時、小熊英二氏の「日本社会の仕組み」を読んだ。

今の会社での人事暦は8年ほど。そんな自分が、僭越ながら、本書に対しての稚拙な意見のようなものも含む、感想文を書いていきたい。

まず、前提の整理から。

本書の課題設定(テーマ)は以下のとおり。

「どうすれば、社員が閉塞感を覚えず、幸せに働ける会社をつくることができるのか」

この課題の背景にある問題の原因については、「無限の忠誠」と「終身の補償」という社員と会社の関係性にあると説く。
モチベーションの醸成・雇用の確保・人材の育成を同時に成り立たせ、「社員の幸せと会社の理想実現」を両立させるための方策がこのやり方であった。ただ、このやり方にも限界が来ており、それが著者の言うところの閉塞感に繋がっているという整理である。

こういった課題に対する著者の提案は、インターネット的な会社という表現が使われる以下のようなものである。

「多様な距離感」、「自主的な選択」、「徹底的な情報共有」と言った風土を醸成することで、閉塞感をなくし、個人と会社の理想の両立が実現できるという社会の創造。

こういった前提を踏まえ、著者の意見に賛成はしつつも、あえての苦言を呈すことで、この読書感想文の目的とされたい。ということで、勝手気ままに書いていくこととする。

大きく3点から僕の苦言を構成することとしよう。

①人事制度とはビジネスモデルである。

「完璧な人事制度などといったものは存在しない。 完璧な絶望が存在しないようにね。」

もしそんなものがあれば、どの会社にも適用されていて、もはや人事制度で差別化などできないだろう。そう考えると、人事制度は、まさに戦略であると言える。人事制度といっても、かなり広義だが、まあその辺は良しとしよう。戦略ということは、まさにビジネスモデルに直結するのだ。つまりは、どうやって儲けるのか、言い方が良くないので、言い直すと、どうやって企業理念、目的を達成するのかに直結する必要がある。

例えばの例。輸出型産業で成長してきた日本では、いわゆる輸出型の製造業をベースに語られることが多い。生産拠点は海外にという流れはもちろんあるが、それでも、日本に「も」工場を持っている企業はおそらく大手に限らず、多いだろう(曖昧)。もちろんこれからの話は、海外も含めて通用する話なのだが。

そのモノを作っている場所は、いわゆる僻地と揶揄されるような場所だ。大抵そうだ。六本木ヒルズに工場はないし、渋谷ヒカリエにも入居できないだろう。そう僻地なのだ。ただ、モノづくりの現場には、そこで働く人が必要である。それは単なるオペレーターだけではだめで、あらゆるジャンルの専門性を持った専門家(エンジニア)が必ず現場にいないとモノは作れない。

無限定性をダメなものに捉えており、そこからの脱却を描いているが、では、誰がその僻地に行くのだろうか。僻地周辺でも採用は可能だろうが、そもそもの専門性が高い職種にマッチする人がその僻地にたまたまいることなんてあるだろうか。いや、ない。

結局、新商品の量産、新ラインの立ち上げ等は、社内のことがある程度わかっている人が複数名赴任しないと立ち上がらないのだ。これらの問題をどう解決できるだろうか。

工場なんて好きな場所に簡単に建設などできない。あらゆる面を考慮して建設場所は決められている。どこからでも勤務できるのは素晴らしいが、この業種の人だけ社内で無限定性を強いられることになるのだろうか。

そして、個人目線で考えても、こういった経験(住環境の変化、知らない人との仕事等)でこれまで成長できてきた部分は正直無視できないだろう。先人がこれらの経験から成長・蓄積してきた人的資本は何をもって、代替するつもりなのだろうか。

昨今の新聞記事等では、転勤が悪のように語られていることが多いが(←自分がそのように感じているだけ)、本当にそれほど悪なのだろうか。選択できるようにして、誰が転勤を自ら選ぶのだろう。本来は、転勤を受け入れることができていた人までもが、転勤を拒否することになり、事業継続が難しくならないだろうか。

また、海外駐在経験を幹部昇格の要件に加えている企業も多い。この駐在経験は、無限定制の対象なのだろうか。となると、幹部昇格の要件に、海外駐在経験を入れるのはナンセンスなのだろうか。(行きたいけど)行けない人に配慮すると、要件にこれを入れることができなくなり、その辺の調整は誰がどうやって整理するのだろうか。

そして、そのしわ寄せは全て管理職に行くのではないだろうか。閉塞感を持っているのは若手だけなのだろうか。

インターネットはもはやインフラなので、今更野暮なことは良いたくないが、サイボウスはインターネットを生業の生業にしているので、そりゃ、インターネット的な会社が望ましいだろう。

代わりにトヨタはトヨタで、自動車的な会社が望ましいと思う。自動車ではなくて、モビリティかもしれないが。

②競争の源泉は差別化である。

上記と同じようで違う話。本書を読むと、著者の主張は全うであり、是非、世の中全体がそのような社会になっていって欲しいと思う。

そのためには、一企業だけではなく、社会全体が変わって然るべきだろう。それも著者の言う通りだ。

ただ、競争社会はそう簡単に横並びで何かを実現できるわけではない。もちろん、法律まで行くと、ある種の強制力を発動できるが、いわゆるインターネット的な会社の内容を法律家することは距離がありすぎる。よって、企業間の問題意識の共有や啓もう活動に終始すべき類であろう。

先にも書いたが、競争力の源泉は差別化である。どこかで横並びにしようとすると、それに賛同しない企業の独自色が強く見えて、格好よく見えてしまうこともあるだろう。そして、揺り戻しが生まれる。

例えば、今は全体でこれまでに比べると、自主的な選択ができるようになってきているし、女性活躍も進んできているだろうし、働き方改革(笑)、DX()の成果もある程度は享受されていて、働きやすくはなってきているのだろう。それは良いとして、どうだろう。業績もそれに合わせて改善されているのだろうか。もちろん、すぐに成果が出るものでもないとは思っている。

どうも、本書で紹介されていた会社の業績が、エクセレントだとは思わないし、数多ある企業の中で比較するなどそもそもナンセンスだが、イケてるとは思えない。立派な方針をもって、各種素晴らしい取り組みをされていると思うのだが、それで個人も会社も成長できるのだろうか。本当に。

逆に、ある程度、旧来型の企業として有名だったとしても、業績がエクセレントであれば、少ないパイの中でも優秀な人材は集うことだろう。そして、そういうところは、環境を提供しなくても、自分なりに環境を作れる人が集まったり、そもそもWILLが強い人が多いので、ちょっとやそっとのことで閉塞感など感じる人はいない傾向にあると思う。

一度、緩めた(←言い方がかなり悪いし、別にそう捉えているわけでもないのだが)ものをもう一度、引き締めるのは相当難しい。それこそ、今のツイッターがそれを証明しているだろう。

③一人でも変えられる。

最後の方で、著者は、「一人では何も変えられない無力感」(←閉塞感)、「一人だから何も変えれなかった」と言ったことを書いていた。

僕はこの言葉だけには賛同できない。なぜなら、一人でも変えられると思っているからだ。

もちろん、一人で会社を大きく変えることは、できないだろう。ただ、大抵の場合、変化というのは急に変わるものではなく、じわじわと変わってくるものだ。

これは持論だが、「一人でも半径5メートルの世界」は変えることができると思っている。大抵、一般的な社員が「会社」と言っているのは、その人の「半径5メートル」の世界であることが多い。

これも持論だが、今の時代、半径5メートルを自分で変えることができずに、自分以外の何かのせいにしてしまうマインドはやばいと思っている。それはつまり、「環境を整えてくれればできるけど、その環境が整っていないからできない」と言っているようなもので、大抵の人間は、そりゃ、自分が能力を最大限発揮できる環境を与えてもらえれば、満足するだろう。

ただ、世の中そんなにうまくはいかないし、誰かのそれを実現しようとすると、誰かのそれが実現されないのだ。こればっかりは綺麗ごとでは片付かない。特に、ビジネスはそもそもそういうものなので、ワーカーにもその考え、ルールが適用されていると思っておいた方がよい。

となると、大切なことは、自分自身で、いかに自分が有利な環境を作ることができるのか、という能力だろう。もちろん、向き不向きというのも確実にあるので、どの環境でもそれが実現できるわけでもないし、変えようとする行動をした結果、変えられないのであれば、それはもうその場所からは去ったほうが良い。

妄想も甚だしいが、著者にとっては、単純にトヨタが合わなかっただけだろう。そして、サイボウズが合っていたのだと思う。

心理的安全性がどうだ、と言われるが、これはあくまでも、企業、マネジメント目線の話であり、いち社員が「うちの組織は心理的安全性が低いから、発言しにくい」などと言っていたら、その人はもう本当に救いようがないだろう。

これは個人が持つ武器ではない。個人には、心理的安全性がなかろうか、自分の意見を持ち、自分の意見を公表することが求められおり、その結果、
組織に影響を与えて、自らが心理的安全性を確保していく役目を持つものだと思っている。

そういう意味でも、結局は、欲しいものがあるのであれば、それに向かってアクションを起こすことができないと、何の役にも立たない人になってしまうのだろう。

ということで、これが僕の考える、「一人でも半径5メートルの世界は変えることができる」論である。

〇最後に

長々と書いてしまったが、人事の端くれとしての勝手な感想でした。

人事の仕事は本当に面白いと思う。時には、個人に寄り添っていると見せかけて、会社の目的達成のために暗躍し、ときに、会社にコミットしているように見せかけて、個人の都合を貫き通す。

綺麗ごとばかりではない。社員にも、経営にも、嫌なことを伝える役目も人事の仕事だ。時に嫌われ、それでも、この人事の仕事の醍醐味は、やはり人の深いところをいろいろとみることができるからだろう。人と組織。それを客観的に俯瞰してみることができる。いや、そう見なければいけない。

僕は人事パーソンというのはそういうものだと思っている。


この記事が参加している募集

読書感想文

人事の仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?