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【人事】職場におけるリトマス試験紙(6,517文字)

久し振りに人事パーソンの末端らしく、人事っぽい話題について書きたいと思う。

少し前だが、中原先生のこのツイートからの一連のツイートをみていろいろと考えた。

(Twitterより引用)

「リモートワークが常態化したことで、目の前にいる部下をマネジメントするといった旧来型のマネジメントから変化することができない管理職があぶり出され、それらは今後淘汰されることになるだろう。」
※この文章で記すマネジメントは、広義な意味での人の管理を指すこととする。

といったようなことを書いている記事をよく見る。まさにその通りだと思う。

中原先生のツイートにあるとおり、オンライン会議の設定、及び、参加ができない人を例に取ると、なぜこれができないのか、やろうとしないのか甚だ疑問を抱く今日この頃だが、この「変化することができない管理職」について、本日はキーボードを叩いてみたい。

【そもそも論、問題点の明示】
そもそも、これは人事パーソンの末端としての僕の持論だが、「これまでは部下が目の前にいるからマネジメントができていた」というのは幻想であり、思い込みだ。それはマネジメントができていたのではなく、部下を視覚的に捉えていただけである。
問題の核心は、自分の目で捉えていること(意図的ではなく偶然)がマネジメントの全てになっている点である。勘と経験と気合をベースにしたマネジメント。


この前提に立つと、相対的に労働時間が長い人に対し、“頑張っている”(←これがそもそも意味不明だが、頑張っていないというのはどういう状態なのだろう?)という評価を与えがちになるし、マネジメントとして、その姿を視覚的に捉えないといけないので自分も帰らない。また、とりあえず、一日中席に座って、パソコンとにらめっこをしながらキーボードを“ぽちぽち”している人を見ると、「仕事をしてくれている」という謎の安心感を得るのが旧来型のマネジメントの特徴の一つと言えるだろう。実際は、何をやってようがお構いなし。 


部下からすると、上司の目をだますことなんてちょろいもんだ。実際は何もやっていないのに、パソコンとにらめっこしている「絵」さえ見せていればそれでいいのだ。新しい仕事を振られようものなら、忙しいと一蹴できてしまう。部下が何をやっているか視覚以外で把握していないので、このような状況になるのは仕方がない。これは部下当人として、それでいいのか、という観点もあるので、なんとも言えないが、ただそれでも、そういった部下の成長支援もマネジメントの一環だとすると、やはりマネジメントの領域なのだろう。組織のイシュー。

こう見ると、環境変化によって管理職が対応を迫られたのではなく、そもそもマネジメントができていなかった管理職があぶり出されたという論旨が正しい。そして、できていなかった管理職は自らを正当化するために、環境のせいにするというわけだ。この人たちに付き合わなければならない人事パーソンはさぞかし大変だろう。まずは耳の痛い現状を理解してもらうしかないのだが、言葉を間違うと一気に関係がこじれる。本当のことをいうと、信頼関係が悪化するので、彼らの意見を受け止めながらも、変化に対応しうる管理職への進化を促さなければいけない。こういう能力が人事パーソンに求められていることは言うまでもない。これがいわゆるHRBPなのだろう。

【上級マネジメント層を対象にした研修の一場面】
少し話は変わるが、こんな話がある。上級マネジメントを対象としたマーケティング研修の冒頭。いわゆる大企業の役員クラスが席を埋める中で講師が参加者に質問を投げかける。

「この中でポケモンGOをやっている人はいますか。」

誰からも手が挙がらない会場。

「こんなところに座っているのではなく、さっさとポケモンGOをダウンロードしてプレイしてみた方がよっぽどマーケティングの勉強になる。」と言い放った研修講師。

これはマーケティングのみならず、自らの能力開発を願うビジネスパーソンに対しては非常に示唆に富むシーンである。

重要なことは、知識も大事だが、何よりもまずは自分で体感し、考えることを伝えている点。「現場思考」という言葉があるが、最たる事例である。現場・現物・現実。自分の目で見て、自分の足で赴き、可能な限り五感で体感する。流行っているものにまず触り、なぜそれが流行っているかを考える習慣。イノベーターでなくてもいいが、少なくともアーリーアダプターにはなっていたい。待つのではなく、自ら仕掛ける。そんな姿勢こそが、マーケティングに携わるものの根幹である。

これができていないビジネスパーソンは、あらゆる商機を見逃し、いくら知識が豊富だったとしても、マーケティングのスキルを保有しているとは言えない。専門家が分析した言葉が並んだものを読んで、分かった気になっても、自分で体感しなければその真髄は見通せない。パースペクティブイズエブリシング。野球の教科書を読んでも、実際にバットとボールを触らないとできるようにはならない。

デジタル化の波が関係のない業界、職種を見つけるのが困難な現代においては、あらゆるビジネスパーソン(公務員なども含む)にとって、デジタルへの対応は不可欠であると言える。もっというと、大量生産大量消費型のモデルからの脱却を謳っている以上は、あらゆる流行にアンテナを研ぎ澄まし、自らとの接点を見つける能力が社会から求められるイノベーションを生む種になると言えよう。


【具体的事例】
この話を受けて、先の事例にも軽く触れておきたい。今どの会社でも起こっている事象だと思う。管理職がオンラインミーティングに参加する際には、そのセッティングやマイクのオンオフまでを全て末端のものが対応し、参加する管理職はいつまでたっても自分でできるようにならない。オンラインミーティングに関わらず、あらゆるデジタル的なものを敬遠する人は多いと思う。SNSを触ろうともしないし、youtubeだって見ようともしない。そんな管理職たちがマーケティングのことを雄弁に語ったり、責任者のポストに就く。彼らに何がわかるのだろうか。

確かにそれなりのビジネス経験から報告を受けた事項を誰かに説明する能力は長けているのかもしれない。ただ、物事を判断するうえで、実際に体験していないことについて、判断することができるのだろうか。いっとき、USBを知らないIT担当大臣が話題になったが、同じくらい滑稽な状況が日本全国で発生している。デジタル(メール、ワード、エクセル、PPT、チャットツール、オンラインミーティング等)化に対応していないビジネスパーソンは、要するに、SNSを利用したことがないマーケター。自動車を運転したことがない自動車メーカーの開発責任者、又は、広報責任者のように滑稽なのだ。

【彼らの矛盾点】
続いて、変化に対応をしない管理職の痛い点を具体的に掘り下げてみたい。
彼らは、職場の管理職(指導者)として、若手に限らず、部下に対し、指導を行う。その際に、社会、社内の常識について「こんなことも知らないのか」、「これくらいは常識だろう」といった態度を取るケースがままある。中には、実際に言葉にする管理職もいるだろう。管理職が得意そうなところでいうと、お酒の席でのマナーや御礼、謝罪メールの文案、タイミング等。部下からすれば、教えられてないのに知る由もないのだが、平然と彼らは常識としてそれらを扱い、それを知らないことを糾弾する性質を持っているようだ。


ただ一方で、彼らは自分のデジタル化への対応は棚に上げて考える。若手には「そんなことも知らないのか」という態度を取る割には、「おじさんはこういうのわかんないんだよね~」とデジタル化対応を敬遠する傾向にあるのだ。ビジネスの基礎としては、マナーもデジタルツールの活用も同じ扱いのように僕は思うのだが、一部の管理職からするとそれは違うようだ。

このあたりがそもそも間違っていて、まだ彼らはデジタル化をビジネスの基礎として考えられていないのだ。中原先生の言葉を借りるのであれば、パンデミックでも変わらなかったのだから、この先、一生変わらないのだろう。そのくせ、LINEやアプリでゲームなどはできたりするものだから、見栄えが悪い。

また頑なにスマホを使わない人達も一定いる。個人の嗜好なので、他人がどうこういう類ではないが、何かしらのスマホを軸として製品、サービスを提供しているビジネスパーソンであれば、やはりスマホを持ち、自らその操作性を実体験として持っておいたほうが良いだろう。


【少し飛躍した事例】
この自らを棚に上げる事例というのは、非常に興味深い。例えば、採用の面接を事例に想定しうるケースを見ていきたい。
例えば、面接の部屋に入り、挨拶の前に、席に座った面接者がいるとする。この時点でこの面接者にバツを付ける面接官は多いだろう。なぜなら、礼儀としては、椅子の横に座って挨拶をし、着席の許可を得てから座るという暗黙のルールがあるからだ。

ルールに違反したものは弾く。わかりやすいが、本当にそうなのだろうか。仮にそのルールを知らなかったとして、この候補者が業界をリードするような専門性を有している、又は、その可能性を秘めている可能性もあるのだ。ただ、この業界をリードするような専門性は面接ではわかりにくい。なので、わかりやすいマナーで×をつける。


これは採用の例だが、こういったわかりやすさで物事、仕事を判断しすぎているのではないだろうか。それだとしたら、オンラインミーティングの設定ができない管理職は漏れなく降職の対象になると思うのだが、そうはならない。なぜなら、管理職がルールを作っているからである。

【原因の究明】
これまで、マネジメントの勘違い、マーケティングの前提、変化しない管理職の具体的事例、変化しない管理職の痛い点などについて、長々とみてきたわけである。では、なぜそういった状況になっているのか、という原因について、持論を展開したい。

どの角度から見るのかによっても、原因は変わる。ただ、今回は、変化しない管理職にフォーカスを当てるのではなく、彼らを取り巻く周囲にフォーカスを当て、展開していくこととする。

もちろん、本人自身が主体的、能動的に能力開発に努めることが大前提となっているのだが、それを阻害する要因として、周囲の「過度な忖度」が考えられる。

子育てなどとも通じるが、ある到達すべき状態があったとして、そのやり方を教える方法が望ましい場面が多いが、その到達すべき状態までをやってしまう。これは、着替えができない子どもに対して、親が子どもの着替えを全部やってしまい、いっこうに子どもは自分でできるようにならないケースと似ている。

親と子どもの例では、あらゆることを親が子どもに教える、という前提があるが、例えば、企業の例でいうと、前提は、あらゆることを上司が部下に教える、という前提が空気感としてはあり、その逆の矢印は機能しにくいという事情が想定しうる。となると、部下からすると上司に何かを教えることは失礼にあたるという空気が生じる。このような状況で、主体的に部下から上司に方法を教えるということは生じにくい。

そこで必要になるのが、上司から部下に対して「教えてほしい」と言うことだが、これも一筋縄にはいかない。初動として、「教えてほしい」と伝えたところで、部下は、「いえいえ、こちらで準備しますので、大丈夫です」という返答をする可能性が高い。そのうえで上司は、「今後自分でできるようになりたいから、教えてほしい」と伝えなければならない。若しくは、自分でやり方を調べて、「自分でやるので準備は不要」と伝える必要がある。

この会話の中での懸念点として挙げられるのは、部下からの好意を退けるのは気が引けるという上司の心情である。せっかく部下が自分に配慮して、「準備しておきます」、「いやいや、こっちでやっておきます」と2回言われたものを、退けることは避けたい傾向にあるだろう。

その準備することも含めて、その部下が自分の業務だと思っている場合(職場に必要とされる接点だと思っている場合)も想定すると、それを取り上げてまで自分でやってしまうというのは、冷たい印象を与えることにもつながってしまう。となると、ここでは、部下からの好意を受けて、快く「お願いします」と言ってしまった方が、職場運営上はスムーズにことが進むかもしれない。

もちろん、部下が「面倒くせー、これくらい自分でやれよ」と心の中では思っている可能性もあるが、全てが全てそうとは言い切れない。実際に聞いてみないとわからないことでもあるし、実際に聞いても本音を言うかどうかはわからない。こういった時には、人はポジティブに捉える傾向があるので、上司は部下の好意に甘えるということに繋がりがちである。

【まとめ】
物事は単純ではなく、こういった入り組んだコミュニケーションの問題に起因する可能性が高い。過度な忖度。上司が覚える機会を奪い、部下が全ての庶務を対応する。そうこうしているうちに、今更聞けなくなってしまい、見る人から見ると、寂しいおじさん(性別は関係なさそうだが、あえて日本の職場の象徴的な存在として使用)たちが完成するといった具合だ。


上司がまだ若手と言われる時代の庶務は経験があるので、彼らもその対応について自らの経験から習得をしているが、経験した庶務以外を意識しないと覚える機会がなく、「何もわからない」という状態に向かう。庶務が庶務として成り立っていればそれでいいが、業務効率化の観点からの仕事のやり方の変化が社会から求められている中では、この庶務を理解していないと企画、判断を誤るということに繋がらないだろうか。

こういった事例が、特に顕著に表れているのがここ数年だと思う。となると、より一層技術の発展による職場の変化が起こり、変化に対応できない管理職が淘汰されていく。いや、管理職だけではなく全てのビジネスパーソンにおける問題として解釈しても良いかもしれない。

取り残されないビジネスパーソンで居続けるためには、コインの裏返しのようだが、環境変化に対応し続けることが必須である。具体的には、変化していることをまずは「認識」し、その変化がどういった類のものなのか「情報収集」に努める。そして、いち早く「触ってみる」。その後、その体験から「持論」を持つ。どのようなことが自分のビジネスに繋がるかわからない現代。

かつて、スマホが登場した時に、あらゆるビジネスのプラットフォームになることを予想できただろうか。コネクティングドッツとは、スティーブジョブズの言葉であり、楽天の三木谷社長も頻繁に使用する言葉だが、将来何と何がつながるのかは誰にもわからない。いや、繋げることで新たな価値を生み出す人がいるだけだろう。かつて、その人は一握りの天才に絞られていたが、今やあらゆるビジネスパーソンに必要なスキルになるほど、身近なものになっているのではないだろうか。

一端のビジネスパーソンとして、新しいものを毛嫌いするのではなく、まずは触ってみてから判断するということを心掛けたい。わからないものを否定するというのが人間の本質だと思う。わからないといことは、つまり、恐怖である。なので、恐怖を脱するために、まずはわからないを減らすことに注力しなければならない。全てをカバーすることは不可能だが、ある程度話題になっているものには、ミーハーと言われようが、触れて、なぜそれが流行っているのかを考えることが今のビジネスパーソンに求められることだろう。

「最近のそういうことはわかんないから」などといった、恥ずかしい発言を平然と人前ですることがないように、生きていきたい。そういった痛さもさることながら、新しいことを吸収し、対応をしていかないと、おそらく感覚が鈍っていくのだと思う。感覚が鈍るということは、楽しむ術を少なくすることに他ならない。ビジネスに限らず、自分の人生を楽しむライフハックなのである。

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