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なぜ今コーチングが必要なのか。

誰かが誰かの話を聞いて、上手く行くように手助けをするコーチングというのは新しくて画期的な発明ではありません。

機械を使ったテクノロジーではなく、人間対人間で行うものですからコーチングの要素は、我々人間の暮らしには古くからずっと存在していたはずです。

ではどんな感じで存在していたのか、どうして今コーチングが必要とされているのか。

昔はもともとというコミュニティがあり、そして長老がいて、何か問題があるとその人に訪ねにいく。 長老は村のメンバーそれぞれの性格や、経歴を知っているので、その人にあったアドバイスをすることができる。 若者たちの日々の成長には、塾があったり青年団があったりして先輩が後輩の面倒を見るようなシステムが存在していました。

現代は、貨幣経済の発展により、人間関係、コミュニティ、家族の関係といったようなものがどんどん隅に追いやられ、本当にあったかい心のこもった
コミュニケーション
が、どんどんなくなっています。 

個人個人が損得のみを計算し、人間関係が取引ベースになっているのは皆が感じているのではないでしょうか。

そしてその希薄な人間関係の中で、自分が成長するにあたって、あらゆる困難に直面したり、挑戦に失敗した時、ほとんどの皆さんが自分を見失うという経験をされたことがあると思います。

その時に、自分をことを本当に理解してくれる人がいてその人が自分は何者だったのだろうか、何を大切にしている人間だったのだろうか、何になりたかったのだろうかと、思い出させてくれる人が必要なのではないかと思います。 

アフリカのある種族では、子供が生まれると、森に入って行き、輪になってみんなでその子供のために歌を作り、歌うそうです。 そしてその子が成人したり、結婚したり、大きな人生イベントのたびにその歌を皆で歌い、この世から去るときも、その歌で見送るそうです。

アメリカでは、日曜日に教会に行く人が多くいて、その時は自分の良心にたちもどることができますし、懺悔があれば、牧師さんが聞いてくれます。

イスラム教の人は、一日5回祈りの時間を使い自分に戻る時間があります。

そして、自分が自分であるということとともに、人々が今本当に欲しているのは、自分のことを本当にわかってくれる人に、褒めてもらったり、ねぎらってもらたりすることではないでしょうか。

どれだけ成功するより、金銭、地位、名声、などを全部得るよりも本当に嬉しいことは、心から自分を知ってくれている人が、よくやったね、よく頑張ったね、と言ってくれることではないかと思います。

そういう意味で自分をジャッジせず、全て受け入れてくれる人、自分を見失った時に自分が誰かを思い出させてくれ、苦労をねぎらってくれる人がいると本当に安心して人生を生きていけるし、そういった機能を提供するのがコーチではないかと思います。

そもそもなぜそれをやりたかったのかというモティベーションや決心を思い出させてくれる存在ベストバージョンの自分を覚えておいてくれる人が身近にいたら最高だと思いませんか?

そこまで大袈裟なことはできなくても、お帰りなさい、いってらっしゃいというようなあったかいシンプルなケアがあれば、それは現代において非常に価値のあることだと思います。

NLP大学のメイン講師の一人のロバートディルツが時折コラボセミナーをする人に、リチャードモスという講師がいますが、彼が非常にいいことを言っていたので紹介すると、

”The distance between ourselves and others is precisely the distance between ourselves and ourselves.”
自分と他の人との距離は、そのまま自分と自分の距離である。
“The greatest gift you can give another is the purity of your attention.”
他の人にあげられる最高の贈り物は、純粋なあなたのアテンション(注意、ケア、思いやり)である。


思いやりのあるコーチにあふれたコミュニティがあちこちにあって ウェルカムホーム、お帰りなさいといつでも歓迎してくれたら
いいなあと思います。

それを目指して頑張って行きたいと思います。

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