猫の話。
10年前。19歳の頃。
アルバイトしていたコンビニの駐車場で生まれた子猫をもらった。
あの時の自分が何を考えていたのかはもう思い出せない。
それまで飼ったことのある動物は金魚ぐらい。
何度か犬を飼いたいだの、猫を飼いたいだの親に話したことはあったが、その度に躱されてきた。
でも、その時は「飼いたい」ではなく、勝手に「飼う」と決めてしまった。
我が家は祖父、祖母、父、母、私の5人家族だった。
家族団欒なんて遠い昔。
私が中学に上がる頃にはもう家族はボロボロだった。
壊れかけの家族にとどめを刺したのは私が中学2年の頃に書いた作文だった。
本当にそうだったかどうかはもう知る術もないけど今でも私はそう思っている。
中学に入った頃、父が病気をして自宅で介護が必要になった。
高校に入った頃、祖母に痴呆の兆候が現れた。
家族会議に子供は参加させない。決まったことも教えない。
参加したところで不安は募るだけだし出来ることもない。
わかってはいた。
どうにかしたくてもどうにもならない焦燥感を抱えながら私は淀んだ家から学校に通った。
私が大学に入った頃、祖母が他界した。
時を同じくして、父の療養施設への入所が決まった。
5人家族は祖父、母、私の3人家族になった。
手のかかる2人が家から居なくなった。
「楽になった」そう思ってしまった。
「やっと終わった」
「自由になった」
私はそう思ってしまった。
そう思ってしまったことは自分でもショックだったから、すぐに感情に蓋をした。
だからその猫をもらってきたのは贖罪のつもりだったのかもしれない。
その時駐車場で生まれた猫はたしか6匹。
多頭飼いをしているバイト先のパートさんが安定するまで面倒を見てくれて、その後、兄弟の中から1匹選ばせてもらった。
真っ白だけど、おでこに七三分けみたいに黒くなっていて、鼻の頭がちょびヒゲのようになっていて
おなかに黒いハート型の模様がある、元気だけどビビリでちょっとどんくさい700gの男の子。
私はその手のひらサイズのふわふわした子猫を、大好きだったアイドルの愛称から「サミー」と名付けた。
ソイツはあっさり我が家に馴染んだ。
好奇心旺盛で一人で勝手にどこにでも出かけていっちゃうけど、知らない人が苦手。
動物病院に連れて行くと私の頭の上によじ登ってプルプル震えながらシャーシャー叫んでいた。
家の中ではやんちゃだけど、意外と空気を読んで邪魔はしない。
そんな猫が一番懐いたのは祖父だった。
朝、祖父を起こして餌の催促をし、膝の上でご飯を食べ、一緒に畑に行き農作業を見守り、脱衣場でお風呂から上がるのを待ち、同じ布団で眠る。
祖父はずっと「サミー」と言えずに「サニー」と呼んでいた。
仲良く、たまに喧嘩して、老人と猫の生活はとても平和だった。
大学を卒業し、東京で就職を決めた私は、祖父と母と猫を置いて実家を出た。
月に1度、実家に帰って3人と1匹でご飯を食べた。
家族で食卓を囲むのは小学生以来だった。
80歳を過ぎた祖父が実は魚より肉の方が好きだったことをその頃初めて知った。
私は20年一緒に住んでいた祖父のことを何も知らなかった。
月に一度集まって鍋をつついたり、ホットプレートで焼肉を焼いたりしながらたわいのない話をした。
いつだって話の中心は祖父の膝の上で丸まってる猫のことだった。
祖父の親バカは加速しテレビに出ている猫よりうちのサニーの方が男前だといつも笑っていた。
幼い頃に見ていた祖父とは全く違う人に見えた。
次に帰る時には何を買って帰ろうか。
きっと何でも喜ばれるし、何もなくても喜ばれるんだろうけど。
その頃の私は初めて家に帰るのが楽しみだった。
やっと「家族」が始まったのかもしれない。
子供の頃に家族写真を撮った記憶なんてない。
祖母の3周忌の時に縁側で撮った家族写真。
祖父の膝の上に座っていた猫が身をよじって逃げ出して、それを見て皆で笑っている姿が写っている。
そんな日々が2年ぐらい続いた。
平穏は唐突に終わった。
祖父が亡くなった。
翌朝食べようと思っていたのだろう、夕飯の残りが電子レンジの中に入れっぱなしだった。
当たり前に来るはずだった翌朝が来なかった。
その日も祖父の隣には猫が居た。
祖父が亡くなった後、実家を取り壊し、母は引っ越すことになった。
20年過ごした家は跡形もなくなり、更地になった。
猫は私が引き取った。
田舎の山奥でのびのび育った猫が、東京のワンルームで暮らせるか心配だった。
最初はストレスを溜めたソイツに噛まれ引っかかれ、私の腕は傷だらけになったが、トイレの窓から外に出られるようにすると嘘みたいに落ち着いた。
時たまソイツは塀の上に座って帰ってくる私を待っていた。
窓から出てきたのだから、窓から帰ればいいのに、私の足にまとわりついて一緒に玄関から入ろうとするもんだから、意地悪してそのままもう一回外に出て近所を一周歩く。
リードなんてつけてないけど、ソイツは私の後ろをポテポテついてくる。
そうやって夜に猫と散歩するのが楽しかった。
夜は私のベットの足元で寝ていた。
なんか布団のここだけフワフワしてんなと思って蹴ると猫。
普段は短気だけど、こっちが寝ぼけてる時には蹴られても足を乗っけられても噛まない。
いい奴だ。飼い主に似たのかもしれない。
朝、目が覚めてモゾモゾ携帯チェックを始めると、足元からやってきて顔の上に乗って邪魔してくる。
携帯を見たい人間と邪魔したい猫の攻防のモーニングルーティーン。
一通りソイツの気が済むと、各々の一日が始まる。
この同居人はあんまり手がかからない。
コロナ禍で家にいるようになった私のことも猫はさほど気にしておらず、たまにちょっかいかけては尻尾で振り払われていた。
その日の朝。
いつものように携帯チェックを邪魔をした後、気が済んだ猫はご飯を食べ、外の偵察に行った。
その隙に私はサーモンのサラダを食べ(猫と同じ部屋で魚を食べると喧嘩になる)、コンビニに行って、帰ってきてトイレに行った。
その時、珍しくソイツが大きな声で鳴いた。
何かと思って見ると呼吸がおかしい。
すぐにケージ入れて病院に連れて行った。
酸素室に入れられて、点滴を打たれて。
1時間後、私は白い箱に入れられたソイツの身体を抱えて自宅に帰った。
病院から帰るタクシーの中で火葬の手配をした。
迎えが来るのを待つ間に自動餌やり機のコンセントを抜き、トイレと水の容器を空にして干し、3階建てのケージの片づけた。
平穏な日常はいつもあっけなく終わる。
20本入りのちゅーるはまだ17本残っている。
4時間後、ゆりかごに小さなブーケとちゅーる2本を入れて業者に渡した。
こうして東京のワンルームから猫がいなくなった。
葬式で号泣している人を羨ましいと思うことがある。
私は悲しむことが上手くない。
「いなくなる」を理解するのが下手くそなのだ。
今でも出先でわさび漬けを見かけては、今度実家に帰る時に持って帰ったらじいちゃん喜ぶかな、なんて考えて、もう祖父も帰る実家もないことを思い出す。
きっとこれからも家に帰る時に無意識にいつもの塀の上を見てしまうだろうし、朝起きて携帯を見る時には邪魔してくる白い毛の塊を待ってしまうだろう。
私の薄ぼんやりした未来設計はいつもソイツありきだった。
独りぼっちのワンルームは広い。
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