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人気駅弁の女性社長、駅前復活への思い

プロフィールに書いていますが、私は三重県に生まれ育ちました。父の仕事の関係でさまざまな場所で暮らしましたが、幼少期から10代前半にかけては県のほぼ真ん中にある松阪市や周辺で暮らしました。2021年春に故郷三重に赴任し、久しぶりに松阪駅前に立ってみると、複雑な気持ちに見舞われます。駅前にあった商業施設がすっかりなくなっているのです。

松阪駅にはJR東海と近畿日本鉄道が乗り入れています。かつて表玄関のJR東海の松阪駅舎に隣接して「三交百貨店」がありました。その店舗はすでになく、今では広い駐車場となっています。

それ以外にも、私の記憶では「ダイカイ」や「松阪大丸」、「近鉄東海」といった商業施設が駅前にありました。特にダイカイは回転式の展望フロアの付いた特長のある建物でした。こうした商業施設はそれぞれ店名や業態などが変わったのち、役割を終えていきました。建物もそれぞれ取り壊されていきました。

地方の中小都市で似たようなことが起きています。もはや珍しいことではないので、新聞記事にもならなくなりました。それでも、この街は三井家発祥の地で現在につながる企業群を生み出す礎を築いた場所だと考えると、商業施設がすっかりなくなってしまった現実はやりきれないものがあります。

そんな商都・松阪を取り戻したいと願う人が地元にいます。

2020年10月29日本店

地元で駅弁を製造販売する新竹(あらたけ)商店の新竹浩子社長です。「私も松阪商人。もう一度、この街がにぎやかになってほしい」と話します。

首都圏などに暮らしていても、新竹商店の商品をご存じの方も多いかも知れません。

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松阪といえば、国産黒毛和牛の最高峰といわれる松阪牛で知られています。新竹商店は松阪牛を使った駅弁が有名で、特に牛の顔の形をした容器に入った「モー太郎弁当」は百貨店などの駅弁大会で大人気の商品となっています。日本経済新聞は過去にこんな記事を掲載しています。

浩子社長と弟の栄紀さんは、閑散とした松阪駅前を復活させようと、一大決心をしました。20年暮れに5階建て(延べ床面積1033平方メートル)のビルを会社の所有地に建てたのです。この場所はその昔「松阪大丸」があった場所です。元地元の銀行マンだった栄紀さんが退職金などもつぎ込んで3億円かけて建てました。

中村 光線バツグン

新竹さんの父の名は日出男さんであることにちなんで「サンライズビル」と命名しました。外壁は地元で作られる松阪木綿の布の織をイメージしていて、入居するテナントにも暖簾や従業員のユニフォームなどに松阪木綿を使ってもらうようお願いしています。また、飲食店のテナントには三重県内や松阪産の食材を使うことも依頼しています。全国チェーンの外食店の進出などは断り、地元にゆかりある企業をテナントとして募集してきました。

「姉さん、街を元気にするために、駅前にビルを建てたいんやけど」。新竹さんは栄紀さんから相談を受けたことを覚えています。新竹さん姉弟が生まれ育ったのは駅前に近い日野町。武将で松阪市の基礎を築いた蒲生氏郷が、近江(現在の滋賀県)の日野から有力な商人を招いたことにちなみ、付けられた地名です。そんな商人の街で盛衰を見てきたことから、ビル建設に踏み切ったのです。

駅を行きかう列車が眺められる屋上を使ったイベントや、観光客向けメニューもテナント店で提供して、地元を盛り上げたいと願っています。また、テナントに地元で長年営業してきた証券会社の支店も誘致しました。このビルが経済面でも拠点となってほしい、との期待も込めています。

もっとも、新型コロナウイルス禍の影響もあり、予定していたイベントは思うようにできない状況です。また、人気の駅弁も観光客の減少で売れ行きは大きく落ちています。

そうした中で、浩子社長はテレビの情報番組からの取材や、鉄道愛好家向けのイベントにも積極的に出席して、駅弁の魅力を語っています。松阪駅に停車する列車の乗客からの事前の注文があれば、弁当のデリバリーにもこまめに出かけます。こうしたことの積み重ねもあり、浩子社長はSNS(交流サイト)で多くのファンを抱えます。

三重県の地方都市から全国区の人気商品を送り出した浩子社長は「私たちは駅とともに生きてきた。もう一度、松阪駅前を輝かせたい」と夢を語っています。

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