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本の匂いが呼び起こす記憶

前の記事で書いたとおり、POD(プリント・オン・デマンド)で早く届くことには価値があった。1点、フォトブックとか会社の販促チラシみたいなコート紙であることだけは残念に思った。

やはり従来の出版・流通に敵わないこともある。こだわり抜いたマットな用紙やインク、特殊な印刷を施した装丁。店頭で出会えなかったら、お取り寄せでじっくり待ってでも手に入れたいと思わせる。

私、この方の気持ちがわかる。イギリスの本の匂いを嗅いでみたくなる。

YA向けの小説

ハードカバーは恐る恐る大学の図書館で読むくらいの距離感だったけれども、アメリカのペーパーバックの甘いような匂いだったら馴染みがある。私は、小中学校時代に国語の授業で扱った本が未だに捨てられず、本棚にしまってある。背表紙が取れているものさえある。

「青いイルカの島」以外は和訳されていないようだ。せっかく原書が家にあるので、当時の私と同じ年頃になった子どもたちにも読んでみてもらいたいと思っている。

値上がりしたんだろうな

いっそのことKindleで買ってしまえば、場所も取らず、オンラインブックマークや辞書といった機能を連携させられて便利なのだろう。しかし、度重なる転居を経てもずっと本棚の一部として私について来てもらったのだから、このまま愛蔵書として添い遂げてもらう。

ざらついた紙は新品のときから大して白くもなかったが、30年も経ったらすっかり黄ばんでいる。ページをぱらぱらとめくって立ち上る匂いを感じ、無数の書き込みを見ると、当時の情景が浮かぶ。

夏が来れば思い出す

第二次世界大戦中に日系人が強制収容されていたことを描いたJourney Homeは、授業で扱われている間はずっと居心地が悪かった。主人公が同世代だったのは他の小説だってそうだったのだが、アメリカナイズされることから逃れて狼と共に自然の中で生きることを選んだイヌイットの少女(Julie of the Wolves)よりも、19世紀に実在した18年間孤島で一人暮らしたネイティブアメリカンの少女(Island of the Blue Dolphins)よりも、戦時中の同い年の日系少女に感情移入してしまった。

爆撃によって家が燃えたり人が死んだりするばかりが戦争ではない。突然奪われた平穏な日々、収容所から解放されたからといって元通りになるには何年もかかる生活基盤の立て直し。

小説は、希望の兆しすら感じさせる終わり方だった。ずっと帰りたかったカリフォルニア州の元の家でなくユタ州だけれども、家族が揃ったここが家だ。と主人公が自分に言い聞かせるのだった。
「いやいや、それで本当にいいんだっけ?」と突っ込みたくなった。戦争を経験すると人はあっけらかんと強くなるのか、あまりにひどい状況に晒されると人の感覚は麻痺するのか、おどろおどろしいことを書いて子どもたちが読書嫌いにならないように作者が配慮したのか、疑問が尽きない。

日本では夏になると戦争の記憶についてのドキュメンタリーや戦争を題材にしたドラマ・アニメが放映されたり、新聞記事が出たりする。若い兵として戦地に赴いた人たちや、国内で敵襲に怯える銃後の人たちについての視点は、戦後生まれでも持てるようになっている。「昔は大変だったのね。今は普通に暮らせていい時代になったのね」とあっさり片付けられる人はいないだろう。後味の悪さを毎年植え付けられている。

私はアメリカに住んでJourney Homeを授業で読んだおかげで、地域に馴染んで暮らしていた日系人が真珠湾攻撃を機に周りから隔離されたという歴史までをも知ることができた。大人は既に黄禍論という厳しい現実に直面していたかもしれないが、アメリカで生まれ友達と楽しい学校生活を送っていた主人公も理不尽に渦に飲み込まれていく。戦争はどこか遠くで起きることではなく日常に影を落とす。敵国にいた日本人に思いを馳せるのは、今の日本で暮らしていたらきっかけがなく、難しい。きっと、戦時中もそうだったろう。

大人になっての意味づけ

日本の学校と違って教科書の単元で作品が決められているわけではないから、教師には選択権があった。どうしてこの小説を選んだのだろう。周りにいたのは「原爆によって戦争が終わった」「アメリカ本土は戦地になっていない」みたいなことを普通に言うような同級生たちだった。日本人の私が教室内にいることで他の生徒に遠慮が生まれるなど、授業の進行に何らかの影響はあっただろうか。私が感じていた肩身の狭さは、何が原因だったのだろうか。

今になって思い返してみると、ホロコーストを機にユダヤ人の迫害が始まったのと似た状況だった。私が住んでいた地域はユダヤ人が多くてホロコースト博物館もあったほどだから、もしかしたら「アメリカの日本人」を「ヨーロッパのユダヤ人」と置き換えて感情移入した生徒もいたかもしれない。英語で書かれた小説が媒介になり、異人種間でも既視感をもたらした。

戦争文学と多様性

私は英語を話せはしなかったが聞いて理解することはできたから、別の科目の授業のときに「喰らえ、原爆!」とふざけていた男子に「うちのおじいちゃんとおばあちゃんは原爆が落ちたときに広島にいた」と真顔で止めたことはある。「ごめんね」「おじいちゃんたちは大丈夫だったの」と聞いてもらえたし、それからというもの原爆ジョークは聞かれなくなったから、言って良かった。

私にとってのJourney Homeは、「肩身の狭い」「居心地の悪い」「気まずい」という孤独感から、属性の違う相手に向かって殻を破るための勇気をくれた1冊である。多様性というのは、人種や宗教が異なる人をどれでも全部並べればいいのではない。相手が置かれた状況に共感を示し、問題があれば共に解決していくための土台を形成する場があって初めて功を奏する。その場として国語の授業があったことに30年経った今でもありがたみを覚えている。

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