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卒業の場に後押されて

3年間続けた大学内の設営アルバイト。
4年間サポートし続けた個別塾講師。
最後の1年間、よくお世話になったコミュニティスペース。
ここ数日、関わってきたコミュニティの卒業イベントで渋滞していた。

追いコン、壮行会、旅立ちの会。
名前はひとつひとつ異なっていたけれど、お世話になった方々や後輩のみんなが送り出してくれることに、照れくささ、恥ずかしさもありつつ、感傷に浸る機会が多かった。

卒業してからもつながりが完全になくなるわけではないと頭では分かっていても、何なら卒業の場が一度だけでないのだけれども、毎回そのときそのときで寂しい気持ちになるのは人の性かもしれない。そして毎回感傷に浸っていたら、ドライアイの僕でも自然に涙するようになっていた。

そしてふと思う。なぜ卒業に涙するのだろうか。
それは、卒業したら関わる機会、会うことができる機会が大きく減ることが予想されるからだろうか。社会人になるという自覚によるものだろうか。守られる対象から自立した存在へと脱皮するからだろうか。

もちろんそれらもあるだろうが、「本気で取り組んだ経験」や「受け取った愛」「一緒に取り組んだ経験・時間の大きさ」がひとつの理由となりうるように思う。

というのも中には自分自身、あまり感情的にならない「卒業」もあったためだ。

どこかよそよそしかった組織、あるいはあまり関わる頻度が高くなかった組織での卒業も数は少ないが経験した。もちろんそうした会を開いてくださるのはありがたいし、周りの同期のスピーチを聞いているとどこか物寂しくなるのだが、そこで感じたのはあくまでも「社会人になるにあたっての不安、恐れ」だけであり、組織に対する熱意や思い、深い感情は少なかったように思う。

一方、今のアルバイト先では3年間、4年間という長い間、強い思いを持って関わってきた。その中には努力がうまく実らず何度も苦労した思い出や、やめたいとこぼした愚痴の数々、そうした相談を受け止め、苦楽を共にする仲間との思い出が詰まっていた。その箱を開けるのが卒業という節目なのであり、その思い出がよみがえってくる。コミュニティスペースの場合は期間こそ短くそうした苦労経験などはないが、そこで過ごした時間の深さや出会った個性的な方々の思い出、なぜか本音で話せてしまうその空間やご厚意に甘えて泊めていただいたことなど、受け取った愛がとにかく大きかった。

こうして出来上がった、思い出のたっぷり詰まった箱たち。
そうした箱たちをいったん開けると「当たり前」は飛散する。

当たり前のように会ってきた仲間たちとはアクションを起こさない限り会えないし、当たり前のように過ごしてきた場所に入るには許可が必要になる。
当たり前のように使っていたスペースは「学生優先」のもと足が遠のき、
何よりも当たり前のようにあった時間が制限される。

思い出の数々が詰まっている箱を開けることは、堰を切ることと似たようなもの。どっと感情があふれ出してくる。だからこそ、いつもは感じなかったあんなことやこんなことにも懐かしさと感謝の心を覚えて、素直に涙することができるのだろう。
そして、その感情に任せて、普段ならできない勇気も持ち合わせることも。

大学1,2年生の時に関わっていた友人。
同じスタディツアーに参加して、企画側に回ってからも、夜中に何度も議論を重ねてきた。
本気になって取り組んで、お互いが本気でぶつけ合った。
そのときはお互いの未熟さで、どこかぎくしゃくしてしまっていて。
そのぎくしゃくを戻すことができないまま、気付けば卒業に。

もう会えない、話せない。これを逃すと一生後悔するかもしれない。

「久しぶり。明日ちょっと話さない?」
これを言えるのも最後かもしれない。

勇気を出して話しかけてみた。

大学の卒業式。
オンライン授業下でも毎日のように自習スペースを使い、コロナ前にはみんなで授業を受けた場所。
最初は不本意入学だったかもしれないけど、なんだかんだ居心地のよかった場所。多くの出会いに恵まれた場所。
その場所で会うことはもうないかもしれない。

だからこそ。

今こんなこと言えるのも、きっと全部卒業の魔法のせいだ。

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