建築に於ける「家具」
人は「イス」があれば座る
普通、家具はできるだけ明確な形態を成しているし、また人間は、それの最も直接的な使い方を知っているから
暖炉は昔から住まいの中心そのものであるし、食卓は家族が集まって円環を形成する場所であった。
建築における家具は、行動を誘導する建築家の「提案」である
ここに座ってみたらこんな風景が見えますよ
ここでゴハンを食べると台所とコミュニケーションが取れますよ
家具のある場所には行動風景がある
ちなみに、家具は「提案」である
と書いたのは「強制」ではないから
僕は極論、家具は家具らしくない方が良いと思ってる
何を言ってるかわからないと思うので説明するが
例えば、何の意味も無い段差を作ってみる
それが階段なのかイスなのか机なのか一見判断できないような
みんなも経験があると思うが、出窓とかテレビ台とか本棚の淵とか高さのあるスペースがあったら何かとそこに物を置いてしまうことはないだろうか?
机の上が気づいたら物だらけになっていたり、電子レンジの上は気づいたら調味料置きになってたり、本棚の空きスペースがTシャツ置きになっていたり、、、、、
住居というのは住まい手が住んでいるうちに、建築家が思ってもなかった風景を作り出すことがある
「ちゃんとそこまで考えて設計しろや」とかいうそんな浅い話ではなくて
そこには偶然を味方にできるようにあえて余白を残している
壁のつもりで設計したけど、住んでいたら幼児の落書きスペースになっていた
窓のつもりで設計したけど、住んでいたら毎日の夕日が見える映画のモニターになっていた
床のつもりで設計したけど、住んでいたら汚れ模様が絵画のようになっていた
僕は昔住んでいた家では階段に一段ずつ好きな靴を並べてディスプレイ棚化してたことがあったけど
一見無意味なものをあえて作って、住まい手に使い方を委ねてみる
無意味に作った段差は、その住まい手によって階段にされてるかもしれないし、靴のディスプレイ場所にされてるかもしれないし、小物置場にされてるかもしれないし、本棚にされてるかもしれないし、、、
今一度考えてみると、この宇宙にだって元々意味などなかったのだから
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