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建築に於ける「光」

底辺を経験したことのない政治家がとても多いが

光の当たる場所でしか生きてきたことがないエリートがいくら闇の話をしたってそれはやはりただの机上の空論なわけで
本当に闇を生きている人からすると、その話はどこか的外れでなんとなくやっぱり心に響いてこない

目の前の苦しい現実という影を乗り越えるからこそ、光が尊く感じるのだ

現代社会の人々は「絶えず光の当たる場所にいなければならない」という強迫観念に縛られている

大人の身勝手のせいで幼い頃から物事の影の部分には目を瞑り光ばかり見るよう教えられてきた子どもたちは、外の現実に触れ、影に入った途端、全てを諦め投げ出してしまう

人間にとっての本当の幸せは光の下にいることではない
そうではなくて、その光を遠くに見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実がある

光と影
建築も同じである
明るい場所と暗い場所
その駆け引き

本物の建築における光はその場「固有」の光でないといけない
どこにでもある光ではなく、「ここだけの光」
だからこそ空間は現象してくれる

言うまでもなく1日たりとも全く同じ光は無い
例えば、日々太陽は高度が変わり、四季が変わり、雲によっての透過度が違い、、、、、
こうして人は空間が時間と共に徐々に変化していくことに気付く
そしてそれは、光だけでなく、風でも、雲でも、空でも、月でも、皆同じこと

少なくとも東窓から入る朝日、西窓から差し込む夕日、北窓からの安定した光、それだけでも光の質は全く違う

短絡的に、日照が確保できる南面だから
というお決まりの理由で”なんとなく”開けた大窓から取り込んだ光
それは、そこでしか成し得ない「その建築だけの光」ではない

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