プロの境界線
どの業界でも”プロとアマ”の二分化をされるケースが往々にしてあると思います。「プロ意識」って言葉もありますしね。
今回はどのラインまで到達したらプロと言っていいのか、呼ぶ権利を得られるのかについてまとめていこうと思います📝。
まず僕自身のプロの定義を話すと、「エンドーサーになれたらプロ」です。
エンドーサーって何かというと、所謂企業スポンサーが活動をサポートしてくれている状態と思ってもらって大丈夫です。エンドースメント契約と言われたりもしますね。
なぜエンドーサーになれたらプロかと言われたら・・・
えぇ、ちょっと困っちゃうな。
企業がサポートしてくれている=特定の分野での技術力が周囲に認められている=プロと言っても差し支えなくないですか?
だって楽器製造している企業に認められる程なんだから、実力が伴っていることは明白でしょうよ?
その人が活躍すれば自分の会社の商品の宣伝にも繋がるわけですし。
ということでここからは、僕が過去に外部から仕入れた5つのプロの定義についての考察に移ろうかなと。
プロとは小さい技術の積み重ねだ
「自分にとっては何気ないアクションの積み重ねがプロたらしめている要因である」ということです。
「その業界での”当たり前”をいかに自然と振る舞えるか」という意味合いも内包していると思っています。
例えばパソコンで映像編集を行うとして、プロは当たり前のようにショートカットをバンバン使っていますが、素人ではそこまで使いこなせる人は多くないと思います。
何ならそのショートカットの存在すら知らない人も多いことでしょう。
ドラムで例えるなら、何だろうな。返しをスピーカーじゃなくてイヤモニを使うとか、MCの間に下がったチューニングを元に戻すとかかな。
そういった小さいことも蔑ろにしないで注意を払えるのがプロってことでしょう。
プロはいかにバックアップを用意できるか
バンドにおいては、演奏中にトラブルが発生することも珍しくありません。
その発生したトラブルに対して、「いかなる状態でも冷静に対応できる処理能力と、環境が変わってもクオリティは変わらない安定性を提供できるか」というもの。
これはとあるドラムの先輩から言われた言葉で、詳細まで聞いてスタンディングオベーション案件だったことを鮮明に覚えています。特にクオリティの安定性。完全に盲点。
いくら冷静に対処できても環境が変わってクオリティがガタ落ちするようじゃ解決しているとは言えないし、周りの空気も悪くなる。
最後の尻拭いまで完璧にこなしてこそプロ。
持続する情熱を持てたらプロ
この指標は個人的に、今回取り上げる予定の5つのプロ基準の中で1番ハードルが低い基準だと考えています。
ということでこれに倣うと、僕はプロです。万歳!
・・・冗談は置いといて。
誰しも始めた当初に抱いていた内なる炎や、ピーク時の情熱を維持出来ている人はそういないと思います。僕にも漏れなくそんな時期がありました。
今の僕の場合の持続の情熱源としての核は、今辞めたら支えてくれた人たちに顔向け出来ねぇという気持ちです。
もちろんバンドで成功したい、有名になりたいという野心もありますが、それよりも顔向け出来ねぇという気持ちの方が大きいです。
おかげさまで、まだまだ熱は消えそうにないですよ。
アマは「自分」が喜ぶ、プロは「他人」を喜ばす
プロ野球監督を務めていた野村克也監督の言葉です。
今回取り上げる5つの中で1番胸に響きました。
今までの自分を振り返ってみると、”自分が喜んでいた時間の方が圧倒的に多い”という心当たりがあるからでしょう。
いやぁ、これは本当に真理ですよ。特にバンドマンなら絶対に目を背けてはいけない。
戒めとして骨身にまで深く刻みつけるべきでしょうよ。
満足せずに未完成のままでいられるか
「現状に満足したら成長は止まる、いつまでも貪欲であれ」ということです。
僕はこれを「1度も完成してない状態」ではなく、「何度も完成され、更新され続けている途中経過の状態」ではないかと考えています。
点で見たら完成した瞬間は何回も訪れているはず。
でも、その完成は通過点であることがほとんどであるため、”完成”という状態は非常に刹那的な現象であると最近気づきました。
今回は以上!
プロという枠組みはこうしてみると、案外曖昧なふんわりした概念なんだなというのが今回のまとめです。
あなたの中での”プロの基準”って何ですか?
よければコメントやSNSのシェアで教えてください👋。
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