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note書いている時、人格変わっている?

noteを継続すること7ヶ月目。毎度更新するたびにTwitterなりInstagramのストーリーで告知を繰り返していたら、嬉しいことに小中高大各それぞれの知り合いから「note読んでる」という声を頂く機会が増えてきました。
いやぁ続けてみるもんですねぇ(月並み)。

中には僕のnoteを読むためにアプリをインストールしてアカウント作成までしてくれた人もいます。ありがたい限りです、ホントに。


こうして読んでくれている人の中からこのような言葉が↓。

・なんかnoteの時、結構言葉遣いきつい時ない?
・たまに別人みたいになるよね。



・・・うーん、確かに。笑

書いてる時は感情の起伏に任せている時も往々にしてあるのでしゃあなしです()。
もちろん狙って、敢えて言葉遣いきつくしている時もありますが。


結論、文章コンテンツによる「地の利」で「水を得た魚状態」になっている。人格は変わってない。


ここ最近note書くときは大体1時間弱で一気に書き上げることがほとんど。
前回のnoteに記した通りです。
書いている時は基本的に頭の中でひたすら湧き出て流れ続ける言葉たちをひたすら文字に起こしている状態です。

その中でもたまに何か憑依しているような感覚に陥ります。
それが「別人みたい」って言われた理由なのかなぁ。なんかすっごいオカルトチックで曖昧なものですけど。



またもう1つの理由として明確なもの。

単純に口頭での会話より文面の方が得意だから。地の利たる理由。

文面の良いところは
・1度文全体を仮組みして、整理してから相手に伝えられるところ
・返答までにゆとりが出来るところ
・記録として残せるところ

ですねぇ〜、やっぱり。


自分の伝えたいことを1度可視化出来るってところがすごく便利ですね。
可視化できるだけで一気に思考が整理しやすくなる。
ジグソーパズル組んでいる感覚。

そうやって思考を整理することで自分の内なる「伝えたい事」をより具体化できるし、その結果感情も出しやすくなる。僕の場合。


そりゃあそこまで個人的好条件揃ったら普段出してないような一面も露わになるし、人格変わるとか言われますわ😂。




文章が得意でも結局「会話」の能力が長けている人には敵いません。圧倒的に口頭でのコミュニケーションの方が頻度も汎用性も高い。

文章は実際にその場に相手がいなくても練習ができますけど、会話は1人じゃあねぇ…笑

音声コンテンツ復活か?🤔


今回は以上、それではまた👋。


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