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文章への「熱」の込め方を考えてみた

ヤマシタマサトシさんの以下のnoteを読んでふと思い浮かんだことを書いてみます。キーワードは・・・以下となります。

・作文
・お知らせ
・「見る」ものと「読む」ものの違い
・授業/指導
・場

文章データへの熱量の込め方なんて教わったこともないし、未だにどうすれば載せられるのかもよくわかってない。でも、確かにそういう感覚になるモノがあるということは伝えておきたい。


★作文★

自分はこれが苦手でした。書くことそのものが苦手ではなく、先生が指定してきた内容に縛られること、文字数も決まっていること。そして先生の求める模範解答のようなものがあること。今思えば上記のようなことが言語化できます。

連想したことは書けないし、解釈を勝手に変えるわけにはいかない。「正解」があるんですよね。それだと淡々と「正解」を想定して書くしか無い。

もちろんそれは社会では役立つことでしょう。取扱説明書。ビジネス文書。ヤマシタさんの仰る熱をあまり感じないものたちへの第一歩。

逆に考えると、テーマが自由で、求められる内容に「正解」が無く、自分の想いや考え、経験を思い切り込めることが出来るものなら「熱」がこもった文章になるのではないでしょうか??


★お知らせ★

こちらにも書いている「お知らせ」。今でもまだまだ「普通」のお知らせは見掛けることが出来ます。無味乾燥でアリバイ作り、定型のもの。これも立派な文章ですが、特に熱は感じません。さらっと見るためのもの。

それに比べ、深津さんがかくような「お知らせ」はそこにnoteへの愛情やクリエイターへの呼びかけなどの熱意がこもっているように感じ取れます。だから単なるお知らせにとどまらず、多くの人からまるで文章のようにスキを頂ける&シェアされるのだと思います。

そう「見る」と「読む」ものの垣根がそこにある。

無味乾燥で熱が感じないものはただ「見る」だけで、「読む」にはいかないんですよね。ここから導き出されるものは・・・


★★

流石に小説では「読む」ものしか売れないですよね。情景をイメージしながら読む。それに比べ、情報系のものや、ビジネス、ガイドブックでも見るものが本やnoteにはあります。

これはそこに熱を込めた紹介、経験、ネタが詰まっていれば「熱」も自ずと込められることでしょう。

ただ中には淡々と「事実/情報」だけを記したものが多々見受けられます。そのあたりがあまり面白くない。情報収集、学びとして「見る」ことはあっても「読まない」んですよね。論文や専門家の文章、研究書などに多いですね。(もちろんそういった態度が求められるものもあるでしょうけど)

これが解説書、入門書になった時に「熱」を込められるかどうかで面白さが変わってきます。要は読者をその専門分野に興味を持ってもらう&引き込むつもりで熱心に書かれたものか?それともただ淡々と書いただけのものか。


★授業/指導★

学校でも居ました。ひたすら教科書をなぞるだけ、黒板に書きつけるだけの先生。もちろんそれが必要な行為なのは理解しますが、やはりそこに「この教科をスキになってもらいたい。理解を進めて欲しい。」などの想いがこもっているとその熱が伝わって、生徒の成長にも関与すると思います。

ただ仕事だからと淡々とやる先生の授業は面白くない。

同じように指導者でもそこに「伸ばしたい」「競技をスキになって欲しい」「技術修得して欲しい」「よくなって欲しい」「悩んでいる選手を何とか支えたい」などの想いが込められた指導はプレイヤーにも伝わりやすいと思います。

理論、理屈や情報も大事ですが、そこに込められた想い(熱)が伝わるかどうか?指導者自身が持ち合わせているかどうかは大きな要素になると思います。もちろんこれは生徒側/プレイヤー側にも言えることです。相互関係。


★場★

会社、学校、組織、コミュニティ、イベント・・・

様々な「場」がありますが、そこが活況する為には上記でも散々書いた「熱」が必要です。その熱がある場に居れば、そこから書くイベントレポでも当然その熱気が伝わってきます。

逆に言うと、熱気がない「場」を幾ら良い文章で紹介しようと思っても難しいんですよね。感じ取れなかった熱気を著者が込められるわけがない。

だから良い文章を書きたい!熱がこもったものを読者にお届けしたい!!という強い想い、熱意を持っている人がオンラインサロンに入会し、集まるとその場は熱が出やすい。活気づきやすい。そこの場を熱で温めまくらないと放射できないし、伝わらないから。

冷めた「場」になってしまうのは、構成員が誰かが何かしてもらえるのを待っていて、熱がない場合なんですよね。これは主催者が幾ら熱を伝えても吸収され、冷える可能性も大きいです。熱を生み出す為にはあなた自身が熱を持ち、温めていくこと

チームでも同じ。組織が幾らやる気があっても、構成する1人1人の熱が少ない&総量が少ないと温まりません。そこから何をやっても外部の人に熱が伝わることはありません。だからといって自分だけが熱を持って動いても仕方がないことはなく、外から見ると誰がどのような熱を持っているかはよく見えてくるものです。感じ取れます。

だからあなただけは熱を持ちましょう。そして同じように熱を秘めた人を巻き込みましょう。同じ場でなくても構わないので、別の場を探してでも。


★★★

最後になりましたが、ヤマシタさんの問い「文章に込める熱意」から少し脱線したかもしれません。ふと思ったことと言いつつ、随分長く「熱く」語ったことも申し訳ないです。

でもこれが熱を込めるだと思います。それが読み手に伝わるかどうかは技法やそのクリエイターの認知度、信頼度にも関わるような気がします。

少なくても書き手が熱を込めるということは以上のようなことではないでしょうか??

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