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淡々と、短くても小さくても熱意を込めて

noteでも長文はスゴく気合いが入っているように思います。勿論、読む人の方が気合いが必要だったりする訳で。

どんどん読み込んでいく人の方が熱意を持って動いているのかもしれません。

書く側にとって長文を書くことは確かに大きな労力を必要とするでしょう。最初から熱意もないのに長文になることはないのかもしれません。

ただ読み手のことを考えると長文が果たして必要なのかは考えておきたいですよね。

トレーニングでもとにかく長時間行えば色々やった気になるかもですし、熱意というかある種の狂気を感じるレベルとなることもあります。

ただそれが目的や目標に沿ってるか、他との兼ね合いはどうかが問題意識としても必要ですよね。熱意を全ての基準にするのは宜しくない。

練習時間が短くても、目的や目標に応じた内容なら良い。熱は量ではなく、ぎゅっと濃縮した、質の高さにこそ込めたい。

noteも長文でなくても、短い中にぎゅっと込めたい。ツイートも、俳句や詩も短いから、淡々と詠まれてるからといって熱が籠っていない訳ではないですよね。

1つ1つ、長さも大きさも関係なく、熱を込めるところにしっかり込める。エネルギーは有限だけに、熱を生み出す根源を持ち、しっかり出していく。

そうありたいものです。

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