陸上競技に長年関わってきて、そして囲碁にもそうですが「流れ」というものを感じます。もちろんほとんどの方にも人生において「流れ」というようなものを感じることはあるかもしれません。
自分でコントロール出来そうなでも出来なさそうな、そんなもの。どうにか手繰り寄せよう自分のものにしようとしつつ、でも思い通りに行かないもの。一度は掴んだように感じつつ、でもあっという間に再び手元から離れて行ってしまうもの。
まあ「流れ」を作るのは"水"か"空気"だとすれば掴もうと思ってもつかめないのは当然ですが・・・
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レースや囲碁においては「流れ」を引き寄せるために積極的に主導権を握ることを勧めます。そういった訓練を年柄年中していると言っても良いでしょう。
その主導権というのもまたあやふやなもので、こう言語化すると陳腐化するような感じがしますし、かといってどうにか現場で使えるようにしないと勝負する上で著しいハンデとなってしまいます。
そして、この主導権を取る為には「主」は何かというと「自分」のことですから、当然のように「主体的」に取りに行かなければなりません。
そしてこれまた当然のようにみながその「主導権」を取りに行くなら自らも積極的に取りに行こうとしなければならない、と。
そう。スポーツの世界でよく声掛けが聴こえると思いますが、「積極的にいけ!」というのはこういう意味があるんですよね。
「主導権」を取りに行かない積極性は単なる無謀と戒められる。この辺の機微が結構解ってもらいにくい。
そしてもう一つはその「主導権」を取りに行くことを教えられるのはそういった経験がある、ある程度のレベルに達していた元競技者であり、指導者になった人が最も適していると言えるでしょう。
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ここでやや矛盾が生じます。
「主体性」を以って臨むべき競技者が、その大本にある「主導権」について指導者に学ぼうとすること。でもそこで何を学べばよいかを先ず教えてもらわないことには自ら「主体」となって学びにもいけないということ。
ここが非常に難しい。
昔なら無条件に指導者を信頼する雰囲気は賛否両論があるにしても存在しました。
しかし、今は指導者側から信頼を作りに行かないと難しく、その為には「有形」すなわち目に見える形での指導、レクチャーを多用して指導/教育効果を示さなければなりません。
そうしているうちに「無形」であるこの「流れ」や見えないものを意識するよう持っていく、場を創ることが難しくなってくるんですよね。
昔はそれでも長時間練習で乗り越えた壁であったとしても今はそうはいきません。
短時間で効率よく伝えていく為には「有形」が優先されざるを得ない。
その辺りを競技者や保護者、支援者は知って頂いた上で「それ以上」のレベルを求める場合、それを学べる指導者や場を選び、自ら赴く必要があります。
ここが指導者も競技者にとっても難しい部分なんですよね。
船頭さんなら水の動き・流れをよく読む、漁師さんなら潮目を読む。経験や知識に裏打ちされたものと言えますよね。
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もっと膨らませようと、きちっと説明しようとすれば恐らく本1冊は軽く書かなければ難しいです。いや、数冊くらい必要かもしれません。
昔は「伝授」するのに徒弟制度、師と弟子のような形で多くの時間を費やしてきたのはこういう「無形」のものの扱い難さにあったんですよね。
強豪校が何故強豪なのかもこういう部分に秘密があります。
もちろん効率よく「質量」ともに適切な、そして科学的に、エビデンスのあるトレーニングや指導、実践を行なえばある程度の位置まで、ある程度の確率で歩を進めることが出来るでしょう。
しかしその「ある程度」ではなく、トップを目指したい。上で勝負したいという願いの中ではこういった「無形」部分が大きなウエイトを占めてくると思います。
こういったあやふやな「流れ」という言葉がどういうものかを考えることに興味がある方は是非マニュアル化された講習会等以外の勉強会や師匠につくことも考えてみるのは如何でしょうか?
競技者もある程度以上を求めるならそういった指導者や場に付くことが必要です。興味がある方は是非ご連絡ください。