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なりたい自分になれる自分

なりたい自分・・若いころ、夢という言葉が好きではなかった。しかし、50代に入り、これは夢といえる私の理想の暮らしだと思うようになった。

今までずっと、夢という言葉に気恥ずかしさを感じ、夢がないことを否定する人たちに反発し、あえて淡々と生きるように心がけてきた。一生懸命さを表に出さず、一生懸命に生きてきた。

キラキラな世界が苦手。目立つことが苦手。競争が苦手。

そんな私だったし、たくさんの行き詰まりも感じてきたけど、いつかきっとこんな暮らしができる人になろう。という思いだけは持ち続けてきた。

運に身を任せながら、運が味方してくれるのは、努力した人にだけだと思いながら、今じゃない、もっと先で私は理想の暮らしを手にするだろうと。

そんな私の「理想の暮らしとなりたい自分」について、ぐんと過去に遡ってどのタイミングで、なぜ、それが理想となったのか。を書いていこうと思う。

高校生のムダ時間

学生時代、なんのために良い大学へ行くのか?なんのために、勉強しているのか?試験勉強って必要なの?興味がわかないことを暗記することへの抵抗感と、いい大学へ行けば良いという世の中の風潮に違和感を覚え始めた。

何も考えず、流れに沿った高校は地元のいわゆる進学校。しかし、馴染めない。

今振り返ると、努力した人にだけ訪れるはずの運を自ら捨てた時だったかもしれない。子供のころは自分の世界が狭いこと、視野が狭いことに、なかなか気づきにくく、自分の正しさや感情で収めようとしてしまう。

大学進学の転機

受験勉強ができず、悩む日々。大学への進学を拒否し、親や先生を困らせたあの時。しかし、私は大学へ進学した。親のために・・

そう、思っていました。どうしても、進学をして欲しいという母の思いと、進学高からの就職が実は難しいということもあり、とりあえず、浪人をして進学することを決めた。

心のどこかで、あなたが行けというから・・という思いはありつづけ、自分たちが進学できなかったからこその子供への押し付け・・、そんな歪んだ捉え方もしたが、一方で、裕福ではない家庭で、両親共働きで必死で得てきたお金を浪人することに使うことは申し訳なく感じていた。

大学生活

日本の大学は、入るまでが勝負、学歴は入ってからのことではなく、大学名でしかないということも、私がひっかかっていた点だった。

だから、良い大学へ入ることではなく、お金が少しでもかからない国立大学へ行くことで、とりあえず自分の気持ちにフタをした。

しかし、大学生活で何が楽しいのか?それに触れたとき、私の理想の暮らしは徐々に見え始める。お酒を飲んで、騒いで、恋愛して、浮かれた自由は私にはあまり必要がないことだった。4年間の中で、人並みの大学生活を送りながら、アルバイトでお金を得る「働く」ということに気持ちはどんどん傾いていった。

もともと、大学進学はせずに、働きたいと言っていたぐらいだから、働くことが私の理想の暮らしのポイントだと気づいたのだ。

働くための勉強

受験のための勉強は出来なかったが、働きながら、仕事のための勉強をすることは、苦しくなかった。人生ずっと勉強し続けられる、働き続けられる、このことが、私の理想になる。

仕事の内容ではなく、なぜか「働く」ということに「労働」ということに、こだわる自分がいた。

最初の就職先で、ラッキーにも割と重要な役割を担わせてもらう。これも「運」だなと思うが、働くことへの意欲が私にはあったからかもしれないと思う。求められることに、結果を出す。結果を出せる人であり続けたい。そう思っていた。きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、お金が欲しいわけはなく、満足してもらえることが嬉しいと思っていた。

運に身を任せる

最初の就職先は、残念ながら倒産の危機を迎える、わずか2年足らずの就職期間。仕事へのモチベーションは高かっただけに、残念でならなかった。

そして、運命に身を任せるとしたのが、その後ずっと「就職」をしなかったこと。もちろん「働く」ことをしなかったわけではない。個人で働くということを続けてきた。一人で仕事ができるわけではないので、都度、人と関わりながら仕事をし続けてきた。

安定するはずは、もちろん無くて、はたから見れば、アルバイト生活となんら変わらないような状態だったかもしれない。

その不安定さを、一生懸命に生きることで、どうにかこうにかやり過ごしてきたように思う。

好きなことを仕事に

多くの人にとって、理想となるかもしれない、好きなことを仕事にするということ。私も少なからず、会社を辞めることになったとき、好きなことをして暮らすにはどうしたら良いのかと考えた。

しかし、わからなかった。好きなことを仕事にできるほど、のめり込める趣味はなかったのだ。

仕事をしてその対価を得るって、そんなに簡単なことじゃないですよね。求められないと、お金にはならない。

お金にならないと、暮らしてはいけない。私が、個人で活動するなかで、周りからずっと不思議がられるのは、会社をつくりたいわけでもなく、どんな仕事がしたいというわけでもなく、「ただ働きたい」というだけで、働き続けているということ。これが、私らしい生き方だった。

人との関わり方

働き続けられることを、理想の暮らしと考える私にとって、大切なことは健康管理。体は一番の資本だと信じて疑わない。

そのために、若い頃から何度もジムへ入会。何度もと書いているように、気持ちはあるけど、続かない現実。運動が好きなわけではないのだろう。施設や人に飽きてしまうと、行かなくなる傾向がある。

いつも新しい情報を求めていて、同じことを繰り返せない。人との付き合いも同じで、深く付き合うことができないでいる。ひとりの人から得られる情報は、限られているように思うからか、気が付いたら、この人はこんな人とレッテルを貼ってしまい、付き合いの範囲を留めてしまうのだ。

人と一緒にいると、どちらかというと、人に合わせてしまうからかもしれない。場の空気をよくするように、うまく付き合う癖があるので、長くは持たない。

人の目を気にしない

長年「ただ働き続けたい」という理由だけで、一生懸命に生きようとする私には、実は大きな壁があった。

人の目を気にすることだ。

人に合わせてしまうと、先ほど書いたように、相手にどう見えるかを気にしてしまうという本来の性格。自分のここでの役割をつい演じようとしてしまう。仕事の場では、それが良いこともあると割り切る事に・・。

一方で、仕事以外の部分では「気にしない」ための努力をした。自分を表現することが苦手で、人前に出ることも苦手で、しゃべりたくない、本来の自分を前面に出す努力。

おかしな人だと思われても、そうなんです!私普通じゃないんです!と、どうどうと言ってしまえば、コソコソと嫌味を言われることもない。

その他大勢と馴染めなくても、居場所はきっとある。

30代後半になると

個人事業を続けて、30代も後半になると、結婚しないの?という一般論からも少しずつ解放されて、ますます自分らしく生きることに没頭できるようになる。

この頃には、運に身をまかせて来たけど、自分が理想を思い描けば、その方向に行くもんだなぁということを実感し始める。

もちろん、何度も迷いはしたけれど、その都度、自分らしく答えを出すようにしてきた。人生は自己責任だと思う。自分の行動次第でどうにでもなると思う。成功の姿なんて、人それぞれだと思う。

不安に襲われた時は、運が味方してくれると信じるようにした。失敗が続くときは、誰にでもこういう運気の時があると、気にし過ぎないようにした。しかし、どんなときも、冷静に今やれることは何かを考えて、何かをするようにした。それが、私を安心させた。

40代後半になると

暮らし方に余裕ができてきた。理想に近づいていく実感がさらに増してきたからに違いない。しかし、年齢相応の不安材料が・・体が資本と信じて疑わず、適度な運動と食事を心がけてきたものの、忙しさにかまけて、食事がおろそかになり、体がガチガチになり、体調不良とはなっていないけど、予防医学を学んでいる私としては、これはまずいのでは??と思う。

そのために、あらためて、体作りを始めることにする。仕事が忙しいを理由にせずに、必要な栄養をとり、筋力をあげるための筋トレ。

新たに入会したジムがごりごりのムキムキジム系だったので、1年経った頃には、理想とあわなくなり、また、辞めることになるけれど。確実に筋力は増した。

好きなコーヒーを一旦スパイスティに変え、養生に務める。一旦というだけあって、のど元過ぎればというところだが、基本的には、仕事よりも大事なのは健康だ。と思っている。

50代に入り

ずっと心にあった、理想の暮らしの一歩。セルフリノベーションを始める。このことが、生涯働き続けられることにつながるはずと、信じている。

私の理想の暮らし、いつまでも健康で、いつまでも働き続けられる、心と身体と頭をもっていられること。その努力は、生涯続くだろう。

若い頃から、ひそかに年を取ることへ憧れていた。早く年を取りたいと思っていた、今思えば、そこに自分の理想の暮らしがあると夢見ていたからだろう。誰からも何も言われず、自分を応援してくれる人たちと触れあい、自分を信じてくれる人たちに感謝する日々。私の人生は幸せに満ちている(これは、周りからの評価とは一切関係ない。人から見れば幸せそうに見えなくても構わないのだ。)

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