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「虚構推理 スリーピング・マーダー」に見る城平京作品のイズム

(2021年1月27日改訂)

 2020年1~3月にアニメが放映され、アニメ2期の制作も決定した「虚構推理」。この作品は城平京先生による「本格ミステリ大賞」受賞の小説「虚構推理 鋼人七瀬」及びそれに続くシリーズが原作で、コミカライズ版(作画:片瀬茶柴先生)も連載中。
 2019年6月に刊行された小説版「虚構推理 スリーピング・マーダー」は、同シリーズ久々の長編(中編?)となったという点において、またコミカライズ版に結末が大きく先行する形で公開された点において印象深い。

 23年前に正真正銘の怪異・妖狐と取引して殺人を依頼した、ある老人。彼は自身が殺人事件を起こしたという事実を子供たちに示し、戒めを与えたいというのだが……
 そんな今作は至る所にこれまでの城平京作品に通ずる魅力が散りばめられた、まごうことなき大作であった。

はじめに

 本稿ではネタバレになりそうな具体的情報は極力含めないようにしつつ、複数の作品について触れながらスリーピング・マーダーの魅力について綴ります。そのため城平京氏の著作を何かしら読んでいるのが前提になってしまうような、不親切な文章になっているかもしれません(補足はします)。
 また、作家名を出しておきながら、同氏原作の「ヴァンパイア十字界」及び「絶園のテンペスト」についてはあまり触れません。ごめんなさい。両作品は異能というものの取り扱い方が「虚構推理」とやや異なりますが、異能を論理に取り込む手続きや超越存在のままならなさ等、やはり共通のイズムが根底にあると思います。
 尚、「天賀井さんは案外ふつう」及び小説「雨の日も神様と相撲を」(コミカライズ堂々完結!)についても本稿ではあまり触れませんが、日常に怪異が紛れ込む不思議な世界設定など「虚構推理」に通ずるものもあるので未読の方は是非。

単行本構成に見る「小説版スパイラル」のイズム

 「虚構推理 スリーピング・マーダー」は、表題作となる長編「スリーピング・マーダー」前・後編と、それに連なる複数の短編から構成される。ここで特筆すべきは、巻頭に短編「岩永琴子は高校生だった」が収録されている点である。

 この短編はコミカライズ版ではとっくに単行本収録されていたのだが、それより後に刊行された小説版「短編集 岩永琴子の出現」には収録されなかった。かなり好きなエピソードだったこともあり、私は当時何故収録されていないのかと嘆いたものだった。
 しかし「スリーピング・マーダー」の目次を見た私は即座に納得するとともに、前刊の時点でここまで構想が練られていたことに驚かされることとなった。

 小説版「スリーピング・マーダー」は短編「岩永琴子は高校生だった」で始まり、「岩永琴子は大学生である」で締めくくられる。いずれも高校時代の知人の目から見た岩永琴子を描くエピソードであるが、この第三者視点は「スリーピング・マーダー」前・後編及び前日譚「明日のために」を味わう上で不可欠のものであり、そこが補強されたことで1冊の単行本としての完成度が恐ろしく高められている。

 このような単行本構成の妙は「小説 スパイラル~推理の絆~ 4 幸福の終わり、終わりの幸福」にも見ることができる。小説スパイラル4巻は外伝「小日向くるみの挑戦」の最終章に当たるのだが、カギを握る人物となる鳴海歩(小学生)を描いた短編2本が巻頭に収録されていることによって1冊の単行本としての説得力が増しているのである。

長編の重厚さに見る「名探偵に薔薇を」のイズム

 城平京先生の長編を新規で読める機会なんていつ以来だったか、もはやよくわからない。小説版虚構推理シリーズでも前刊「岩永琴子の出現」は割合サクサク読める短編集であり、その前はもうシリーズ第1作「鋼人七瀬」となる。同氏の著作全体で見ても「雨の日も神様と相撲を」が2016年刊行で、恐らくそれ以来となるはずだ。
 だから私は「スリーピング・マーダー」を読んだとき、久々に思い出すこととなった。自分が思考を巡らせている場所の遥か先に答えがある、重厚な展開。真相へと雪崩れ込んでいくクライマックスに戦慄しながらも読み進めずにはいられない、恐ろしくも心地よい敗北感。

 読後に「敗北感」という言葉が浮かぶのは氏のデビュー作となった「名探偵に薔薇を」以来となる(「隠されたものを掘り出す行為の危険性」という文言も本作を強烈に想起させた)。
 視点人物が途中で一度導き出す解答に、読者は概ね自力で辿り着くことができる。そしてそれに対して何らかの違和感を覚える。そこまでは良い。私はしかしそれ以上先へは到達できなかった。引っ掛かりを覚えながら読んでいると、物語はあっという間に最終解答へと動き出し、ただ慄きながら結末を見届けるしかなくなってしまった。さながら岩永琴子に相対する音無家の面々や、藤田家で起きた「小人地獄」による毒殺の真実に身を震わせるあの人物のような心持ちであった。

 それでいて、提示される「真相」は、そこへ至る材料が十分に提供されたものであり、「私は何故これに辿り着けなかったのか」という不遜な感想さえ抱かせた。まさに敗北であると同時に、ミステリを読む上で最上の楽しみ方ができたと言って良いだろう。城平京作品には様々な読み味のものがあり、それぞれ魅力があるが、この読後感を久々に味わうことができたのが心の底から嬉しかった。

 ちなみに、「雨の日も神様と相撲を」も、これらと雰囲気は異なるものの、想像の3歩先へ踏み込むクライマックスは圧巻であり、やはり重厚な長編となっている。

漫画と小説、両方読みたい

 このように大いに楽しませてくれた「スリーピング・マーダー」であるが、勿論これで終わりではない。コミカライズ版「スリーピング・マーダー」完結編となる第11巻が、小説版の後を追って刊行されるのだ(追記:2019年10月に発売された)。

 スパイラル~推理の絆~でもそうだが、城平京作品は小説と漫画版、双方を読んだときのお得感がかなり大きいのが特徴的だ。文字の形で読むことでキャラクターの内面がダイレクトに分かるし、それらを踏まえて漫画版を読むと、様々な描写にそれまでうっすらとしか見えていなかった意図が見えてくることがあり、漫画版の味わいも一層増すという訳である。

 「虚構推理」のコミカライズはとにかくコミカルなところがひとつの特徴である。岩永琴子の描写にしても、恐ろしさがよく伝わる小説版と比較して、コミカライズ版では幾分かわいらしさが目立つ印象がある。岩永は「可憐にして苛烈」であるためどちらも紛れもなく正しい岩永琴子像であり、両方を読むことでキャラクターや作品の魅力を存分に味わうことができるのである。

 コミカライズ版が後追いとなるのは個人的に「鋼人七瀬」以来となる。所謂推理パートというのは動きが少なかったりセリフが多かったりと漫画ではやや難しい印象があるが、「鋼人七瀬」ではその漫画表現がまさに圧巻だった。「スリーピング・マーダー」のコミカライズでは岩永の虚構推理がどのように描かれるか楽しみでならない。

(追記)
「スリーピング・マーダー」コミカライズ完結編では、「鋼人七瀬」のときのような派手な演出の入る余地がなかったかわりに、本格ミステリ(うそついて辻褄合わせるけど)らしく人物の表情や仕草できっちり魅せてきた。これまで同様の可憐な絵柄なのに岩永の苛烈さ・恐ろしさが遺漏なく表現されていた点も極めて印象的だった。また本筋ではないが「コマの都合上入れられなかった原作のシーン」がオマケページに描かれていたのが嬉しかった(相当好きなシーンだったので)。

 月刊マガジン及びマガポケの同時連載も軌道に乗り、さらなる拡がりを見せる「虚構推理」。アニメ2期は未だ詳細が明かされていないが、この「スリーピング・マーダー」が中心となる可能性も十分に考えられる。これからもこの作品から目が離せない。
(追記終わり)

では、これにて。いつかまたどこかでお会いできることを祈りつつ。

追補:「小説 スパイラル~推理の絆~」

自分が失ったからといって、他人も失うのを望む人間にだけはなりたくない

 2019年9月に20周年を迎えた「スパイラル」は、漫画「スパイラル~推理の絆~」全15巻と「スパイラル・アライヴ」全5巻(作画:水野英多先生)、そして「小説 スパイラル~推理の絆~」
 1 ソードマスターの犯罪
 2 鋼鉄番長の密室
 3 エリアス・ザウエルの人食いピアノ
 4 幸福の終わり、終わりの幸福
から構成されるシリーズで、オーディオドラマ化・アニメ化もされた人気作。小説版は漫画本編とは一応独立しており、1~3巻は原作や小説既刊を読んでいなくても楽しめ、4巻も小説版3巻までを読んでいれば楽しめるようになっている。
 1~3巻は漫画「推理の絆」本編時系列の中編がメインで、巻末に外伝「小日向くるみの挑戦」の短編が収録される形式。中編にはそれぞれ小説版オリジナルのヒロイン(木刀女子・桜崎緋芽子、ツンデレの先駆け・牧野千景、お嬢様・柚森史緒)が登場し、三者三葉の活躍を見せる。(桜崎緋芽子は最後影が薄くなるので忘れられがちだが、あの鳴海歩を赤面させ、二の句を継げなくさせるという歴史的快挙を成し遂げている。)

 小説版で個人的に重要なところは、主人公・鳴海歩というキャラクターの内面が幾分わかりやすく描かれている点である。鳴海歩は非っ常に悪意のある見方をすれば「鈍感系チート主人公」と言えなくもないのだが、(それはいくらか真実ではあるものの)誤解してはいけない。彼は兄がとてもすごい人だったという、本当にただそれだけで自身が努力しても何も手に入れられなかったため、自分に価値を一切見出さず、一見捻くれた性格になってしまった。しかし、だからこそ何かを失った/失いそうな人間を放っておけない。そのあたりが文字で描かれることでダイレクトに伝わってくる。
 また、その内面描写が確かに漫画本編の端々で描かれており、「新たな気づき」というより「より具体的にわかった」という感想になるあたりに漫画本編・水野英多先生の描写力が表れている。

 外伝「小日向くるみの挑戦」はコミカルな(ごくまれに重たい)読み味。短編は今でもこちらの公式サイトから読むことができる。本編とのつながりはそんなにないのでひとまず小説だけ読むのもひとつの選択肢だ。

追補:「名探偵に薔薇を」

 究極の毒薬「小人地獄」を巡る因果が巻き起こす事件に名探偵・瀬川みゆきが挑む、2部構成の長編。「小人地獄」は用量さえ守れば検出不能、心不全としか思えない状態で人を死に至らしめる恐るべき毒薬であるが、本作は「小人地獄による完全犯罪を解き明かす」という内容ではない。小人地獄というアイテムの特性がフル活用され、奇怪な事件が描き出されている。

第一部 メルヘン小人地獄

「頼む、瀬川。助けてくれ」

 各種メディアに届いた狂った童話「メルヘン小人地獄」。それになぞらえたような殺人事件が発生する。途中までは猟奇的な描写が多く、苦手な人にはつらいものもあるが、何とか耐えて読み進めると、絶体絶命の状況で三橋荘一郎がついに名探偵・瀬川みゆきに頼る苦渋の決断を下す(友人・瀬川を案じるが故の苦渋)。以降は重苦しかった物語が急加速し、痛快な探偵小説が繰り広げられる。中盤までの重苦しさがあるからこそもたらされる解決の爽快感を味わいながら、時折垣間見える瀬川みゆきの内面に興味を引かれる、そんな第一部。

第二部 毒杯パズル

問題は、誰が、何のために、ポットに毒を入れたか、である。

 第一部だけでもかなりの読み応えであるが、この第二部が本番。家庭教師が「小人地獄により毒殺される」という謎めいた「事件」が発生し、瀬川みゆきは再び藤田家を訪れる。
 この第二部は「事件の謎」と「瀬川みゆきの内面」の両輪で成り立っており、どちらにも心が締め付けられる。真相が明かされたときには、神かなにかに祈るしかないような心持ちになった。どうすれば瀬川みゆきが救われるか、私は今でも考えずにはいられない。

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