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1993 コンサートの夜

これで一区切りにしよう、終わりにしよう、最終回、やり切った、卒業、という局面が好きな私。1993年はポールマッカートニーさんにも会えたので、いろいろなものを一区切りにして、社会人になることにしたのでした。

1989年、モジャモジャヘアの卒業を前に、拓郎さんが神がかったロンリーストリートキャフェを熱唱。拓郎さんから「上昇志向」って言葉が発せられるなんて思いもよりませんでした。ミュージシャン40歳台かっこ悪い説を唱えるポマ研(ポールマッカートニー研究会)ですが、まさにかっこ悪い時代を卒業しようという瞬間です。その時の私は、何かを卒業なんて言葉を考えたことがありませんでしたが。

1993年、ポールの再来日公演終了後、同い年の森高千里もとんでもない熱唱をしました。限界を振り切ったというのがピッタリです。翌年のツアーは全公演中止。彼女の場合はこの日に卒業というよりも「やり切った」、という感じですかね。

2人と比べるのも全くもっておこがましい私ですが、私も1993年はいろいろ一区切りして長かった大学生を終えて卒業しようと思ったのでした。

昔、FBに書いた日記を貼っておきます。いつでも私が読み返せるように。

人生の目的 1993/5/1

私の好きな植松社長は、人生の目的と人生の手段は違います とおっしゃいます。植松社長にとっては、宇宙事業は手段なんだよね。

1993年の今じぶん、この時、人生の目的のために、就職すべきか、就職せず起業すべきか、など色々考えながら、成田から1日かけてアトランタへ。16時ぐらいの飛行機だったかな?デルタ航空だったかな? とにかく乗り継ぎ乗り継ぎ、アトランタに着いたのは4/29の夜だったと思います。なので4/28に日本を立ったのでしょうか。

5/1にジョージアドームでポールにサシで会ったんですが、過去にあったどんな人間よりも衝撃的でした。

この後、シンシナティによって、5/6の早朝、シンシナティから1日かけて日本に戻ってきました。

帰りの飛行機の中で、とりあえず持っていった就活本を一気読みしました。どんなに好きなアーティストを追っかけても、自分の人生は彼らの人生と全く重ならないという当たり前のことに気がついたんです。

なのでとりあえず、一旦就職することにしたんです。

この間、先輩の小林さんからメールを頂きました。そのメールに書いてあったこと、「中井さんもいくつもの人生の山谷を乗り越え、大きな会社組織の中で自分らしくやりがいのある仕事を創り上げようと努力してこられた中で、やっぱり最後は人間なんだなあとほっとする振り返りを折々にされておられることが、負けない秘訣なんだなあといつも感心しています。」

そういえば、会社人生の結構なターニングポイントとなった転勤で、ボスだった取締役から、「次の職場に納得いかないかもしれないけど、どんな小さなことでもいい、興味を持てることを探して極めてごらんなさい、きっとそれが身を助けるよ」

そして、古くからの友人は異口同音に言います。「まだサラリーマンやってんだ(笑)、一番先にドロップアウトすると思っていたよ」って。

そうなんだよね、人生の目的が通信技術で日本社会をより良いものにするとか、そーゆーのじゃなかったからなんだろうね、だから結局はこの会社でやりたかったことってなかなか見つからなかったです。先輩や取締役は、どことなく私が会社とマッチングしてない、納得してないってことがわかっていたんだろう、そう思うわけです。

毎年毎年、この時期にこのポールの写真を眺めると、気持ちが若くなります。

この10ヶ月後、猛吹雪のNYからレンタカーでアトランタ経由でフロリダへ。あれは楽しかった。過去の旅の中で一番でした。本当にふざけた大学生時代でございました(笑)。


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