見出し画像

支配、マネジメント、Ebony & Ivory

マネジメントというと聞こえがいいが、支配について。

今書いている本で、ポール・マッカートニーが1982年に日本取材団からインタビューを受けているテープを原稿化しているのですが、「Ebony And Ivory」で歌っていることが、今の時代も求められているよね、不幸にも、とポールが語っています。

あと昔、大学でみそっカスの研究というか考察をしてことがあり、会社に入っても大人数をマネジメントすることがあったり、異文化組織の合併、統合などをしょっちゅう経験したことから、そんなことをいつも考えています。

概ね、半数を優遇すれば大きな数を支配出来るんだと思います。男女、老若、エボニーとアイボリー、どちらかに制約をかければいいという感じです。私の今いる会社の評価も、普通の評価(期待し要求するレベルを達成)が半数で、それ以下の評価がつくことは少なくとも労働組合に入っていればほとんどありません。そのことで、上位層(といっても半分もいるのだが)が仕事をすればいいということなんだと思います。

で、これらを組み合わせたり、もう少し細分化するっていう感じにして大人数の組織をマネジメントする、というわけです。

もっと極端に、さらに効率的に支配というかマネジメントもできます。例えば、村八分。組織的常識や掟を浸透させて、守れない人をパージするとか、まあ北朝鮮みたいな恐怖政治を引くとか、学校や会社とかで言えばいじめとの黙認とか、特定の一人にハラスメントをするとか、簡単に言えば見せしめ、ですかね。

本当に戦争なんかしない方がいいですよ。というか、国どうしで戦うのは愚かしいです。そもそも、そこに極端な支配が生まれ、総じて大半の人間は不幸になります。

ジェンダーとか人種とか、国籍とか、そういう壁って乗り越えられるのかしら。で、ここを乗り越えても、金持ちか貧乏かという壁は乗り越えられない気がしますね。少なくとも私が生きているうちは。「多数決で、貧乏人は死んでもいい」的な発想、ちょっと前に「老人は死ね」みたいに言っていたやつもいるし、この人間社会では、常に用意されている椅子は人口の半分位なのかもしれません。

金持ちも貧乏人も、特権階級も平民も、右翼も左翼も、親日も反日も、日本人も中国人も、賢者もウマシカも、うまいもの食えばうまいと思うし、眠くなったら寝るし、悲しい時は泣くのに、どうして相手が困っている時に手を差し伸べたり、助け合ったりができないんでしょうね。というか、できないから Ebony And Ivoryが今の時代も、そしてこれからも必要とされるんでしょうか、不幸にも。

椅子は半分しかないと思いながら、椅子に座れなかった人に何をしてあげるか、というのが私の生き方かな。仕方ないよ、椅子を全員分用意するっていうことはできそうもないしね。そもそも私の椅子もガタガタだ。あるだけまし、というレベル。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?