働くということの主人が自分自身ではなくなっている
そう、誰かのために働いているこの現状がそう。
自分で何かを作って、その価値を評価してもらって、結果として自分自身が潤うという循環こそが実は一番綺麗な循環なのではないかということ。
自分でそれを作ることができないから、それを作れる人にお願いして作ってもらおう!そしてその報酬の一部を作ってくれた人に還元する。
ある意味で逆転現象みたいなことが起きている。
いや、でもそれが今の常識みたいになっているということ。
そして、労働者というものは自分たちで何かを作り上げることができないと、起業とか何かを作り上げることは難しいというマインドになっているから、誰かに使われていた方が気楽なんだという発想になっていく。
例えば自分のお店を持つとなったらリスクのことばかり気になってしまって、本質とか何のためにお店を持ちたかったのかというところを見失ってしまう。
そうなったら結局は『どこかに雇われていた方が楽』と思い込んでまた歯車側の方に逆戻りする。
でも、今のこの世の中の仕組み上、全てのことが自分だけでできないといけないということでもないのだ。
もしできないことがあったなら、他の人に助けて貰えばいい。
全てのことを自分一人でこなそうとするのは難しい。
でも、誰かにやってもらった時にその価値に正しい値段をつけることができるのかということ。
私欲を満たすためだけに他人を利用するようじゃ、上流階級のそれと何も変わらない。自分すらもそこに心を売ってしまってはいけない。
自分の周りの人たちも共に豊かになることで、見える景色が一変する。
そして、その循環でより良いものを作り上げる。
今の自分の理想の場所というのは、自分に関わる人全てが自分の好きなこと、得意なことで食っていき、そして非社会的な空間を作ること。
そこには歯車的な何かは存在しない。
歯車になろうにも、歯車を設置する場所がないから。
自分自身で何かを作り上げることでその一部にならないといけない。
ならざるを得ない状況がそこにあるということ。
想像するだけでワクワクが止まらない。
『人』
もうそこでしかない。
お金があっても人がいなかったら、意味がない。
『お金』
あれば人と多くの経験を共有できるかもしれない。
でも、なくても幸せに暮らしていけるというのが究極の理想。
お金があるから人が集まるのではなく、その人自体に価値があるから、そこに人が集まるという環境を作るのが生きる目的なのか。
今の時代に、働くという行動の主人を自分に戻すということを掲げて生きていく。わからないけど、それだけで大いに価値があると思っている。
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