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『新島夕トリビュート』刊行宣言

文責:初雪緑茶

 はじめに

はじめまして、初雪緑茶というものです。この記事は私が企画・責任編集として制作している『新島夕トリビュート』の刊行宣言となっております。初めて耳にされる方が多いと思いますが、2010年代を中心に活躍したノベルゲームのシナリオライター新島夕を特集するトリビュート同人誌を2022年11月文学フリマ東京での頒布を目指して制作中です。

新島夕とは如何なる作家で、特集する同人誌を制作するような特異性はどこにあるのか、なぜお世辞にもノベルゲーム文化や同人批評文化が盛り上がっているとは言えない2022年に語られなければならないのか。そういった点はもちろん頒布する誌面にて十全に展開するつもりですが、その一部、具体的には私が『新島夕トリビュート』を企画するに至った動機を説明することで、刊行宣言とします。

本文に入る前に長ったらしい文章なんて読んでいられないよ、という方向けに企画意図を二点明記しておきます。

・10年代において最も重要なノベルゲームライターの一人である新島夕の仕事=作品を同人誌という形で残すこと。
・今現在もノベルゲームをプレイしている世代の受容の仕方や語りを頒布することで、支配的に機能している先行世代の言説に対抗すること。

そしてこの同人誌が届いたら良いな、と願っている読者は次の層になります。

・ノベルゲームのファン。特に『Summer Pockets』など近年の作品からKeyや新島夕に触れ、『はつゆきさくら』や『アインシュタインより愛を込めて』など作品に興味を持っているような若い方々。
・批評、作品を読むことに関心のある読者。特にかつて東浩紀や坂上秋成の仕事を読みノベルゲームについての言説に興味を持った方々。

『新島夕トリビュート』は第一に「トリビュート=賛歌として贈るもの」ですので自分を含むファンが読みたいものであると同時に、わざわざ紙の本として形にする以上はこれ自体が後に参照できる仕事=作品としてクリティカルな視座を持ったものになることを目指します。ひいては、論考からエッセイ、二次創作イラストやインタビュー、座談会など様々な形で上記の宛て先に届くようなものを制作する予定です。

このnoteは今後もプレ企画などを行っていくので是非フォローをお願いします。Twitter(https://twitter.com/nizimayutribute)のフォローも良しなに。

以上が簡潔な告知となります。それでは、刊行宣言本文をどうぞ。

 刊行宣言

生者が死者の夢を見るように
死者が生者の夢を見ることだってあるんだよ  ——『はつゆきさくら』

なぜ我々は物語を読むのか。その理由の一つは、物語が幽霊であるからに他ならない。我々が物語に触れるには、すでにそれは死者でなければならない。なぜなら、物語は誰かの物語であり、誰かによる物語であり、誰かに宛てられた物語だからだ。その誰かはどこにも存在しない誰かであっても構わない。しかし我々が読んでいる物語はそのような風に現実の世界に取り憑いている。

新島夕とはノベルゲーム(PCゲーム、美少女ゲーム、ギャルゲー)を中心に活躍しているシナリオライター・ディレクターである。株式会社Visual arts内のブランドSAGA PLANETSのシナリオライターとしてデビューし、いくつかの作品を手掛け、退社してフリーになった以後も複数の挑戦的な作品をディレクションする一方で、『AIR』(2000)『CLANNAD』(2004)などの作品で一つのジャンル・時代を形成したブランドKeyの長編作品『Sunner Pockets』(2017)で外部の書き手でありながらメインライターを務めるなど、作家色の強い作品からブランドの作風に合わせた作品まで携わっている人物だ。

ただ当然のことではあるが、ノベルゲームというアニメ化された作品以外の一般的な知名度は限りなく低いジャンルで作品のほとんどを発表していることから、新島夕という作家は全くといってよいほど知られていない。知名度の有無はともかく、新島夕が賛否両論を巻き起こしながらノベルゲームという特殊なメディア=媒体において実践してきた仕事=作品はそれ単体としても特異なものであると同時に、ノベルゲームというジャンルが言説空間において一つの位置を示していたゼロ年代の諸作品を明確に継承しつつクリティカルな仕事=作品を展開したという点で10年代のノベルゲームという未だ整理されていない対象を論じるうえの一つの重要な視座となる作家なのは確かである。そういった作家である新島夕を何らかの形の語りとして遺さなければならない、これが直接的な制作の動機である。

詳しくは我々の同人誌に期待して欲しいが、新島夕作品の特異性はノベルゲームというメディアの性質・及びジャンルの基本構造への懐疑・批評性(『魔女こいにっき』(2014)に代表される物語内物語り、『恋×シンアイ彼女』(2015)『アインシュタインより愛を込めて』(2020・2021)に代表される美少女ゲームにおいて前提とされるからこそ回避・隠蔽される「恋」や「愛」の主題化、美少女ゲームにおける男性主人公と女性ヒロインという定式化された関係性への懐疑)という点において語ることができる。また、新島夕という作家の系譜上の重要性としてはゼロ年代を代表する書き手及びブランドである麻枝准及びKeyに対する応答(会社内の別ブランドとしてデビューし、後にKey作品のメインライターを務め、その直後に自ら新ブランドを立ち上げ麻枝准に対してある種挑戦的な作品づくりを行った)を非常に自覚的な形で行ってきたことや、活動時期が2007年~(ディレクターとしては2009年~)と10年代とほぼ重なっている点が挙げられるだろう。

そして今年2022年は初の単独シナリオを務めた『はつゆきさくら』から10年であり、これまでの新島夕の集大成とも言える作品である『アインシュタインより愛を込めて』が昨年に完結したという点で、現在も意欲的に活動を続けている作家について一つの語りを編むには最適のタイミングであると言える。

また東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』や村上裕一『ゴーストの条件』、坂上秋成『TYPE-MOONの軌跡』『Keyの軌跡』といった先達らの優れた仕事や整理によってノベルゲームについての言説は一定の成果とともに読まれ続けているが、ゼロ年代以後の作品についてまとまって語られたものはあまり存在しない現状に、一人のノベルゲームファンとして寄与できたらと考えている。坂上秋成が「『ビジュアルノベルの星霜圏』作ってる時から、誰かに引き継げるものになればいいって思いがあった」(『星霜圏』はコミックマーケット81で頒布された同人批評誌)と呟いていたように、後に誰かが参照し引き継げるものにするためには紙の本という形は時間経過による摩耗に対する一つの有効な抵抗手段であると思う。

しかしそれをノベルゲーム全体についての本という形ではなく、単一の作家のトリビュートという形をとって行うのは、我々が10年代を総括して論じるには力不足であるという事実以上に単一の作家、単一の作品のみを対象にしたとしても、そのテクストの内在的な固有性を掬い出すことでその作品が属するジャンルや年代を(可能性の中心において)語ることは可能であると考えているからだ。それは経過する年月という否応なしに降り積もり続ける雪によって見えなくなり、忘れ去られていく幽霊=物語を生者として——それは読む人にとっては誰かの幽霊=死者であるのだが——送り出すことに他ならない。

それ故に我々は「トリビュート」という形から軸足を置く。贈るものという明確に宛て先が存在するこの同人誌はなによりも作品のファン、ノベルゲーム文化のファンに届いて欲しいが、一方で新島夕作品において言葉や手紙が常にそうであるように、間違った宛て先に間違った形で届くことも期待しているからである。最後に責任編集である「私」を主語とすることが許されるなら、たとえそれ自体は本質的には無力なものであったとしても、それが存在していることによって本来出会うことのない言葉や気持ちが媒介され、幽霊のように場に憑依し続けることを願っている。

「それでも、どこかで忘れてはならない。実生活の中で滅び去るしかなかった者達を、せめて観念の世界で生かし続けたいと思うから
だから私達は、この劇を作り続ける
置き去りにされた哀れな魂達に、この劇を、捧げ続けるのですよ
そうやって今を生きることだって出来るのですよ。創作とは、芸術とは、許されずさまよい続ける想いの救いの場なのです」 
——『はつゆきさくら』

「そのほとんどは、結局、実現できずじまいだった
嘘つきだと言われてもしょうがない
でも、語らなければならない
人は、本当に、世界にあるものだけでは、やっぱり寂しいから
その果て、あるはずのないものを信じないと……生きていけないのだから」
——『魔女こいにっき』

あの時渡したあの手紙、君はどういう気持ちで読みましたか? って。
そしてどうして返事をくれなかったのかって。
だけど俺は想像することによって、その空白を埋め合わせる。
きっと誰もがそうやって世界を生きている。 
——『恋×シンアイ彼女』

蔵に積み上げられたガラクタを、どこの誰がどんな思いでここに託していったのか。
俺が知るはずもない。
けど、とにかく俺なりに整頓してみた。
ぐちゃぐちゃになった時系列を、ちゃんと揃えてあげるように。
一つ一つにラベルを貼って、便宜的に名前をつける。
そうやって、雑然としていた蔵の中を整頓していく。
そうしている内に、何かが見えてくるような気がした。
ガラクタ一つ一つの由来がぼんやりと見えてくるようで。
蔵の中に。
言ってみれば、それは時の地図とも言えるものだ。
——『Summer Pockets』

恋はどこからきて、どこへいくんだろう——
  君がどこからきて、どこにいくとしても——
——『アインシュタインより愛を込めて』

以上が刊行の宣言となる。最後まで読んでくださった方には感謝を。

*Amazon在庫がないものなどあるため、記事に名前が登場した作品のみをここには載せている。リンクを貼ったものにも中古のみの作品や、版の違い、年齢制限のあるものが含まれているので注意されたし。

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