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短編:夕陽の絵の話

(毎日、エッセイのようなものを投稿していましたが、遂にネタが尽きたので、小説のような童話のようなものを書いてみました)

夕陽の絵の話

《夕陽》は日本画の巨匠が描いた絵のひとつです。
ただ他の絵と違うのは、繊細で美しい花鳥画で有名なその画家の絵では珍しく、まるで子どもが描いたような単純な絵ということ。
水平線がほぼ画面の真ん中に引いてあって、海と太陽が描かれています。海には乱雑に描かれた波線があり、太陽もぐるぐるっと赤く丸く描かれているだけ。画家の印がなければ、その画家の作品とは誰も思いつかないような絵なのです。

この絵はいつも、なんで自分はこんな絵なんだろうと思い悩んでいました。
自分の兄妹たちは、思わずため息が出てしまうくらい美しく、その前に立った人はうっとりした顔をします。
ところが自分の前に人が立つと、決まって「本当に同じ画家の絵?」だの「自分でも描けそう」だの「何がいいのかさっぱり分からない」だの言うのです。
自分ができあがった時ですら、画商が首をふりふり
「先生もついに才能が枯渇したのか…」
と小さくため息をついたものでした。その後にいつもの絵の調子に戻って、画商がほっとしたのは言うまでもありません。

兄弟たちは悲しむ《夕陽》の絵を見て慰めます。
「展覧会で一緒に出てた、他の画家の絵も言ってたけど、何十年も経って突然人気が出ることもあるみたいだよ」
「君にもきっと、すごくいいと思ってくれる人が現れるよ」
美しい絵は心も美しいのです。
《夕陽》の絵は、皆のやさしさに感謝はしつつも、「そうは言っても…」といじけた気持ちになるのでした。
大体、《夕陽》の絵は誰も展覧会で飾りたがらず、ほとんどの年数を美術館の収蔵庫で眠っているので、そんな人に会う可能性がぐっと低いのです。
そしてやっと展覧会で飾られたとしても、十年経っても、二十年経っても、人は同じ感想を持つのです。

今回の画家没後六十周年の展覧会でも同じでした。
皆素通りするか、チラッと見て「何がいいんだろう」と言っています。
時々やってくる子どもたちは、
「変な絵ー。全然じょうずじゃないね」
と素直な感想を大声で言って、親たちにたしなめられるしまつ。

久々に収蔵庫から出られて嬉しいと思っていた《夕陽》の絵は、次第に恥ずかしいと思うようになり、早く人目にさらされない収蔵庫に戻りたくなりました。
そしてまた「なんで自分はこんな絵なんだろう」と思い悩むのでした。

ある時、男性が一人やってきて、しげしげと《夕陽》の絵をながめました。
近づいてみたり、少し離れてみたり。
《夕陽》の絵は、ようやく自分を気に入ってくれた人が現れたのでは、とわくわくしました。
ところがその人はかぶりを振りつつ
「他の絵と全然違って子どもの落書きみたいな絵だな。なんでこの絵を描いたんだろう」
とつぶやいたのです。
《夕陽》の絵は大変にショックを受けたのですが、それと同時に「確かに、なんで1枚だけ自分のような絵を描いたんだろう」と今まで考えてもいなかった疑問を抱き始めたのでした。

急に黙り込んでしまった《夕陽》の絵に、兄弟たちはひどく心配しておろおろと話しかけました。
でも《夕陽》の絵は、その声が聞こえないくらいずっと考え続けました。
とうとう会期も終わり、収蔵庫にしまわれることになっても、《夕陽》の絵は考え続けました。
もしかしたら、下絵のつもりだったのかもしれない。
もしかしたら、実験的に描いた絵だったけれどもうまくいかなかったから元に戻ったのかもしれない。
もしかしたら、百年後に評価される絵のつもりで描いたのかもしれない。

でも誰だって自分の誕生のことを覚えていないのと同じように、《夕陽》の絵の誕生は、《夕陽》の絵すら覚えていないのです。

実は、《夕陽》の絵の誕生前、画家は最愛の娘を亡くしていました。
まだ六歳だった女の子は、ある時風邪をこじらせてしまい、そのまま還らぬ人となってしまったのでした。
絵を描くことが大好きだったその女の子を、とても可愛がっていた画家は、ひどく落ち込んで、しばらく絵を描くことができなくなっていました。
来る日も来る日も画室で座っては、真っ白な紙の前でぼんやりとしていたのでした。
そんな時にふと見たのが、女の子が描いた絵でした。
女の子は熱海へ家族旅行に行った時に見た、見事な夕陽を絵にして、お父さんにプレゼントしたのです。
それを画家は大事に引き出しにしまっていたのを思い出して、とりだして見たのです。

まだ元気だった女の子がはしゃいでいた熱海旅行。
でも見事な夕陽を見た途端に声をなくして、きらきらした目で凝視していた姿。
よっぽど印象的だったのか、家に帰ってくるなり何枚も夕陽の絵を描いていた姿。
そしてその中で一番よく描けたからお父ちゃんにあげる、と画室に持ってきた姿。
どれを思い出しても涙があとからあとから流れてきます。

そして画家は筆を取ると、女の子の絵をなぞるかのように、その熱海の夕陽の絵を白い紙に描きはじめました。
絵をなぞりつつ、思い出もなぞっていたのかもしれません。
できあがった絵は、今までの画家の絵とは似ても似つかぬものでした。
でも、楽しい思い出をなぞることによって、画家は少し心が落ち着いた気がしたのでした。
そしてようやく、他の絵も描こうという気になったのです。

そんなわけで、《夕陽》の絵は、誰よりも何よりも画家にとって、大事な大事な絵だったのでした。
間違って画商の手に渡り、大慌てでひと騒動起きるのはまた別のおはなし…

おしまい

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