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仏像の魅力を知りたいと思う今日このごろ

仏像や仏画にあまり興味を持てないでいる。
広隆寺の弥勒菩薩像や興福寺の阿修羅像のように、一般的に美麗とされる仏像は素敵だなと思うし、平等院の雲中供養菩薩像はそれだけ見に宇治に行きたいと思うくらい好きだが、それは突発的なもので、もっと仏像や仏画のことを知りたいとまではいかないのだ。
それはそれでいいかもしれないが、仏像好きな人に出会うと、私の知らない魅力を知っている気がきてちょっと悔しい。

同じ宗教的なものでも、西洋絵画や彫刻のキリスト教を題材にしたものであれば、好きな作品やアーティストも多いし、ヨーロッパを旅行して古い教会を巡るのも好きだ。
色彩が豊かで、色が好きな身としては、画材の関係で着彩がほぼなくなってしまった仏画が、西洋の宗教絵画より見劣りしてしまっているのだろうか。
それも理由の1つだろうが、つらつら考えている内にもっと大きな理由に思い至った。

おそらく、仏像や仏画にストーリー性を感じられないから、そこまで興味がわかないのだ。感じられないというか、知らないというのが正しいかもしれない。
キリスト教に関しては、ミッション系の学校に通っていたのもあり、自身はクリスチャンでないものの、聖書の物語はなんとなく知っている。
また西洋の宗教絵画は、聖書のシーンを伝えるのがメインなので、非常に分かりやすく、鮮明に物語を語っている。
西洋絵画であっても肖像画や、静物画、風景画など物語性が薄れるものには、やはりあまり興味がわかない。

なるほど、自分は絵画や彫刻のなかに物語性を求めるんだなということを、今回つらつら考えるなかではたと気付いた。
だから絵本を描きたいと思ったんだろうし、画家仲間にも絵本を描いた話をしたら「いつもあなたの絵にストーリーを感じていたからとっても納得!」と言われたこともある。

もしかしたら仏像も、それぞれがどの役割をして、どんな世界観のなかにあるのかなどといった、背景となる物語を知れば興味がわくかもしれない。
よく考えてみたら、アートというのはこうした物語を知らないと深く味わえないところがある。
西洋絵画を深く知るにはキリスト教の物語が必要なように、仏教美術を知るにはそれが必要なはずなのだ。
それなのに日本美術史の教科書通り、どの時代の作品なのか、この時代のものは何が特徴なのかばかりを学んでいた。
西洋絵画を見る時には分かっていたのに、仏像や仏画を見る時には失念していたなと気付いたのであった。
もう少し余裕ができた時にやりたいことリストに、この辺の学びを入れたのだった。

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