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疑うときは自分から手放す
こんにちは!ダイバーシティや福祉、IT教育の分野でPR/マーケティングを担当している、にわと申します。
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今日もTwitterにおります。
今回は、つい仕事仲間を疑ってしまうことについて書いてみます。
性格悪くない?と思われるかもしれませんが、案外誰でもあり得る話かという気がしています。
何が正解かはわかりません。
しかし、私はいまのところ、疑う自分に気づいたら、自分から疑いを手放すようにしています。
仕事の場での疑い
性善説や性悪説。誰もが一度は聞いたことがあるでしょう。
今回はそのどちらがどうだとか、その話は一旦脇においておきます。
たとえばこんなことってないでしょうか。
「〇〇さん、また休みか。仮病かな?」
「あの仕事、どうなったかな。忘れられているんじゃない?」
正直にお話しすると、私も「絶対に仲間を疑いません」とは約束できません。
毎日些細なことで、疑いはおこるもの。
悪いことをしているから疑うとか、そういうものではなく、考え方の癖に近い部分もあるかもしれません。
疑いと確信と事実
ちょっと「おやっ」と感じても、スルーできたり、「まあいいや」と手放せたりするのであれば、さほど大きな問題にはなりません。
しかし、手放すどころかどんどんその思いが膨らんでいくときがあります。
そして、疑う気持ちはやがて確信へと変わり、あたかも事実であるかのように語られるようになります。
法を学んでいたとき、刑法の「疑わしきは罰せず」とか、事実と推定のちがいとか、叩き込まれてきました。医療でも同じ。適切な臨床推論を行ったうえでの診断のもと病名をつけても、それが覆ることもあります。
人の思考過程によるものは、どんなに確信をもてることでもそれはあくまで「確からしいこと」であり、事実とは言い切れない―
もっといえば、科学も哲学も、どんなに議論しても、唯一絶対の事実って、そこに存在し、誰かが認識した時点でぐるぐると事実と確からしいなにかとを循環する存在になってしまうのです。
ややこしい哲学論は、大好きですが今回は割愛します。
そして、残念ながら、やはりどこまでいっても疑いは「疑い」です。
それが正しいかどうか、あなたがそこで判決を下す権限をもっていたとしても、人間関係においてそれが有益であるとはいえません。
多くの場合、職場でそんなことをすると関係性に溝が生まれてしまいます。
疑う理由
では、人はどのようなときに大事な仲間すら疑うのでしょうか。
それはズバリ、
焦りが強いとき
自分自身がうまくいっていないとき
本当はさらに重大なことがあると気づいているが、先送りしたいとき
ではないでしょうか。
少々辛辣な言い方をすると、
暇だから疑う
ここに尽きると思います。
暇だから疑ってしまい、疑う気持ちから憎しみや不信を抱き、余計な気苦労をする―
暇だから、気苦労する時間も持ててしまう、そういった側面も否定できない気がします。
言い方を変えれば、全く別の場面で不都合があって、ちょっと自分の負い目をカバーできるくらいの「振り上げたこぶしをおろす先」を探している感じ。
どうしても、自己防衛でそうなってしまうときもあります。
気苦労して幸せになれるならばよいのですが、ひとつも幸せになりません。
ネガティブのスパイラルに陥っているから、ある意味当然です。単純に不幸じゃないですか。
疑わない方法
疑うことで不幸を導くならば、疑わないのが幸せですよね。
ただし、強引に一言でまとめると
暇を持て余して疑ってしまう―
そんなことがあれば、
自分の関心が別のことに向くように仕向けましょう。
疑う相手が、自分に対して好意的な言動をするように、疑いと真逆のことをすればよいのです。
それも、一切の疑いをもたないで。周囲が何と言おうと信じ切りましょう。
サボっているのでは?と思うときには、あえて(自分だけだったとしても)信じてみましょう。
食べられているかな。水分はとれたかな。休み明けに困ることはないかな。代われるように勉強してみようかな。他のメンバーに根回ししておこう。
もしかすると「大丈夫?おだいじに」と連絡する時間も忘れるくらい、あっという間に時間は過ぎていきます。
大丈夫だ。仕事は忘れられていないはず。相手からパスが返ってきたら、その次にできることを用意しておこう。ここまでできていると伝えてしまおう。
万が一忘れていたとしても、あなたの行動から思い出してくれるかもしれないし、好意的な相手ならば「ごめん、忘れてた」と正直に申し出てくれることもあり得ます。
そして、疑うことを手放したあなたであれば、ポジティブな返事がきたら、もう相手を責めることに意味を感じないでしょうし、「あ、そうなんだ、連絡が来てよかった」と思えるかもしれません。
疑うのは、いまのところ損である
そして、精神論で終わらせないために重要なことをお伝えすると、
疑わないときのほうが、相手が自分を信じてくれて、うまくいく
あくまで経験則ですが、こんな傾向はあるようです。
疑ってしまうと、相手も自分を疑うことが増えるのです。
これは単純な話で、コミュニケーションが減り、気持ちの溝がどんどん深くなっていくから。
一旦疑いを手放して、相手に自分を信じてもらえるようにするほうが、サクッと仕事が片付いて、楽なのです。
こじらせることが楽しみなのであれば、それも否定はしません。
私はひどいズボラです。
後を引くのが面倒で仕方がないので、仲間を疑っている自分に気づいたら、コーヒーをいれてそっとその気持ちにお別れするようにします。
相手と自分は別物で、どこまでいってもインストールはできないもの。
まったく自分の意のままにしようなんて無理だし、疑うほうが時間の無駄だというのが、当座の結論です。
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