カウンセリングにおける心理士さんの交代から気づいたこと
別に隠すようなことでもないから書くけれど、私はしばらく前からカウンセリングに通っている。
今までなんとなく、カウンセリングについて書くのは修了してからにしようと思っていた。
でも、大学院生にとってメンタルヘルスは身近な問題だ(と思っている)し、カウンセリングをこんな風に活用しながら修論を書いていますよ、というレポのようなものも、少しは需要があるのかもしれないと思い始めた。
だからこれから、気が向いたらカウンセリングのことも書いていこうと思う。
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私の大学には保健センターという施設があって、そこでは学内の関係者(多分、職員とか教員も)無料で診察やカウンセリングが受けられる。
学生相談室でもカウンセリングは受けられるのだけど、違うのは、より医療的な観点に立脚したサポートを受けられるところだ。
学生相談室はどちらかというと「学修上の問題について相談するところ」で、保健センターは「メンタルヘルス上の病について治療するところ」だと思う。
私はと言えば、メンタル面での病の診断が下りているわけではない。
だけれども数年前に「このまま放っておいたらまずいかもしれん」という状態になり、友人から保健センターの存在を聞いていたこともあって、通うようになった。
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細々とした思い出については別の機会に書くとして、今日はある発見について書きたい。
それは、「ゼロからマイナスになった時に側にいてほしい人と、ゼロからプラスに行こうとしている時に側にいてほしい人は、違うのかもしれない」ということだ。
順を追って説明すると、私は一度、担当の臨床心理士が変わっている。
最初の方に「メンタル絶不調期~回復期」までお世話になり、そこでやむを得ない事情で交代することになった。
交代したばかりの頃、新しい方のやり方に慣れず、もやもやしていた。
人が違えば内容が変わるのは当然なのだが、中でも不満だったのは、「とにかく前向きに考えさせようとしてくる」ところだった。
最初の方は、私が落ち込んでいたり、ネガティブになっていたりしたら、黙って受け止めてくれた。
「メンタル絶不調期~回復期」の頃の私にとっては、そうやって自分の弱い面を安心してさらけ出せる場が大切だったし、新しい方にもそういう場になってくれることを期待していた。
しかし、新しい方は、「〇〇って考えてみようよ!」「〇〇してみるのはどう?」と、とにかく提案をしてきた。
それが、私にとってはありのままを否定されているようで嫌だった。
もっとなんでも聴いて、肯定して、受けとめてほしかった。
もやもやしている内に就活が忙しくなり、カウンセリングは就活が落ち着くまで中断することになった。
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就活が終わり、いよいよ後は修論を残すのみ…となってからカウンセリングを再開すると、あることに気付いた。
心理士さんがしてくれる提案が、嫌じゃなくなっていた。
むしろ、「ああ、確かに」と冷静に受けとめ、考える材料にできるようになっていた。
以前のように、「とにかく弱い私を受けとめてほしい、否定しないでほしい、黙って聞いてほしい」と思わなくなった。
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どうしてこんな変化が起こったのかと言えば、大きな要因として、私のメンタルが回復したことがあると思う。
就活という大きなストレスがなくなったからなのかもしれない。
もしくは、就活中にカウンセリングの代わりになりうるストレス解消方法をあれこれ試した経験から、自分でストレスを受け流せるようになったか。
いずれにしろ、以前ほどネガティブじゃないし、落ち込むことも減った。
まだまだ健全とは言えないかもしれないけれど、明らかによくなっている。
つまり今の私のメンタルヘルスは、ゼロからプラスに転じているところだ。
これから修論を乗り越えたら、以前よりもタフなメンタルになれると思う。
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最初の方にお世話になっていた頃は、普通の状態から悪化している、「絶不調期~回復期」だった。
だからこそなんでも聴いて、よしよしと励ましてくれる人が必要だった。
しかし、普通の状態から更にタフになろうとしている今、言うなれば「発展期」にある私に必要なものは、よしよししてくれる存在(そのままの自分を受けとめてくれる存在)じゃなく、自分を変える手伝いをしてくれる存在だ。
そのままでいたら、ストレスが溜まった時に再び不調に陥ってしまうかもしれないからだ。
カウンセリングの目的は(少なくとも私にとっては)、「健康なメンタルを取り戻して、維持できるようになること」であり、「ずっとカウンセリングに通うこと」ではない。
いつまでも心理士さんが支えてくれるわけでもなし、ひとりだちするためには、何かしらの面で自分が変わる必要がある。
そして、自分が変わるには、自分に無い発想や考え方を提示してくれる人が必要だ。
私にとってその役割をしてくれるのは、今の心理士さんなのだろう。
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今考えると、私は最初の心理士さんに依存しかけていたかもしれない。
ありのままの自分を受けとめて自尊心を回復させてくれる、座り心地のいいソファのような存在に甘えていた。
でも、自尊心を人に回復させてもらうより、自分で得られるようにする方が本当はずっといい。
ソファに座りっぱなしになっていないで、自分の足で立って外に出られるようになった方が、よっぽど健全だ。
もちろんどうしても立てない間は座っていた方がいいけれど、本当はもう立てるのに、居心地がいいからと甘えていたらいつまで経ってもそのままだ。
私はもうそろそろ立ち上がる段階に来ている。
人の手を借りて立ち上がり、再び歩けるようになるまで、あと少し。
新しい自分に会える時が、すぐそこまで来ている。
最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。