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伝えたい内容半分、伝え方半分

最近、よく怒るようになった。

と言っても、別に誰かれ構わず文句を言ったり、他者を責めたりしているわけではない。
「ちょっとそれ、違うんじゃない?」と思った時、なるべく穏やかに、でもしっかりと言葉にするようになった。

それを、「怒る」と言う人もいるかもしれない。
けれど私は怒っているつもりはないので、怒っていない(うーん屁理屈だ)。

私は幼い頃、どちらかと言うと頑固だった。
本が好きで語彙が豊富だったこともあって、ついつい口が止まらなくなっていた。

そんな私を見かねて、「もっと相手の都合を考えなさい」「譲ることを覚えなさい」と周囲の大人は私によく言った。
次第に私は、何か納得がいかないことがあっても、「気にしないふりをする」「流す」という対応を取るようになった。
「こういう時は空気を読んで黙るものだから」という社会通念に従って、何度自分で自分を殴って黙らせただろう。

でも、ふと気づいたのだ。
それは怒っていないのではなくて、単に、自分の気持ちに蓋をしているだけではないかと。

嫌なことを言われたり、されたりして、相手の都合を考えて、それで気持ちが晴れるならいいのだ。
でも、大抵の場合はそうじゃない。
「私は本当はこう思うけど、言っても無駄だから」と黙り込むのは、「あなたは言ってもわからないだろうから、私が譲ってあげるのよ」とも読み取れる。
それは相手を信頼していないし、なんなら傲慢で失礼だ。

そして、自分に対しても同じくらい失礼だと思う。
自分が自分の気持ちを尊重しないで、他に誰が尊重できるだろう?
自分の気持ちは、自分が掬いとってあげないと、他の誰にも気づかれないものだ。

言葉のやり取りは、伝えたい内容半分、伝え方半分だ。
思ったことを伝えるのと、相手を傷つける言い方をするのは、まったく別のことだ。
例えば、

いや、Aって全然だめ。Bの方がいい。やり直し

私はAもいいけど、Bの方が好きかな。だって○○だから。

だったら、同じことを言っていても、伝わり方が随分違う。
伝え方の部分で相手を思いやってさえいれば、思ったことを率直に伝えることは悪ではないと気づいたのだ。

そして、何より。
怒ったなら怒ったで、いいと思う。
嫌なものは嫌だし、それは相手に伝えない限り伝わらないし、それを伝えて嫌がる相手ならそれまでの縁なのかもしれない。

もちろん、ビジネスの場ならここまで割り切るわけにはいかないだろうけど。
割り切れる範囲は割り切って、少しでも過ごしやすい人間関係を構築していきたい今日この頃だ。


最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。