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カップ式自販機と伊坂幸太郎氏と文章を書くこと

普段はほとんど自販機を利用しない。コスパが悪い気がして水筒を持ち歩くようにしている。ティーバッグをいれて氷をいれて、水をいれて、安く済む。わざわざお金を払って少ない飲み物を買うのが私にはどうしても馬鹿らしく思えてしまう。いわゆる貧乏性かも知れない。

そんな私が今日、久しぶりにカップで販売されている自販機を利用した。車の車検があり、作業に3時間ほどかかると言われてしまったのだ。そんなことでいまガソリンスタンドの店舗内でパソコンを叩きながら待っている。そのデスクワークの相棒としてカップ式自販機でカフェオレを購入したのだ。

いつもの私ならばわざわざ車検の待ち時間をガソリンスタンドで過ごしたりしないだろう、一度家に帰って好きなことをしてきっちり2時間50分後にガソリンスタンドに戻るだろう。今日、わざわざガソリンスタンドで時間を潰そうと思ったのは、昨日読んだ伊坂幸太郎氏の「仙台ぐらし」が影響していると思われる。最近は読書を全くせず、余裕のない生活をしていた私にとってこの作品は癒やしであり、3時間ほどで一気読みしてしまった。小説家として著名な彼だがこの作品は短編エッセイ集だ。その中で伊坂幸太郎氏が仙台の静かなカフェでコーヒーを飲みながら小説を執筆していることがうかがえる内容が書いてあった。「あの伊坂幸太郎さんは仙台のカフェで執筆していたのか」と思ったときに惜しいことをしたと思ってしまった。エッセイ集「仙台ぐらし」の出版は2012年だった。そして私は2011年から2013年まで仙台に在住し市街地の一番町でアルバイトしていた。だとすればおそらく伊坂幸太郎氏と何度もニアミスしていたのだ。自分が楽しいなと思って読んでいた小説の作者と会えるかもしれない機会を逃していた事に残念だったなと思うと同時に、そんなことを思っている自分はさもしいなと感じている。そんなもやもや感を抱えた今日、ちょうど3時間ほど持て余す時間ができたので伊坂幸太郎氏ごっこをしているのであった。長らくサボっていたnoteの執筆を再開したいなと思っていたところでもある。

私にとって文章を書くということは何なのだろうかと「仙台ぐらし」を読みながら、その内容と全く関係ないことを考えていた。数ヶ月前まで、私はnoteをほぼ毎日書いていた。それはうつを抱えていた(今もそうだが)私がその精神状態を記録し、内省するために始めたのだったと思う。いつの間にやら書かなくなってしまった。作品として世の中に公開することに耐えうるものを私は書けない。それでもnoteは公開するという緊張感をもって書きたいなと思う。自己顕示欲と劣等感と自尊心が自分にあることを恥と感じて何も発信しなかった結果、自分の中でパンクしてしまったのかなと最近は思うようになった。発信方法は歌も絵も文も試し、なにか違うと思いながら継続できないことに劣等感を感じ、自分で作った想像上の平均人間を達成できないことに劣等感をつのらせ。こじれてるなと思うし吹っ切れたいと思う。手は動いていないが脳はフル回転してメモリーばかりを喰うという厄介な状態に閉じこもっていた。そんなときになんとなく、伊坂幸太郎氏の「仙台ぐらし」は肩の力を抜いてくれた。

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