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ヲススメラヂオの小説 part3『夏の庭 -The Friends-』

どうも、こぞるです。ヲススメラヂオ第3冊目で中村さんに紹介していただいた、湯本香樹実先生の『夏の庭 -The Friends-』について書いていきたいなと思います。他の記事のような紹介文より、少し内容に触れたものが多いかもしれません。ご注意ください。
 ラジオは以下にありますので、先に聞くと、よりこれを書いている奴が何を言いたいのかがわかりやすくなるかと思います。20分弱ですので、課題や作業のおともにいかがでしょうか。

ー作品紹介ー
 この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう。
 死への興味から、生ける屍のような老人を「観察」し始めた少年たち。生ける屍のような老人が死ぬ瞬間をこの目で見るために。
 夏休みを迎え、ぼくらの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ――。いつしか少年たちの「観察」は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが……。
 喪われゆくものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語。

 読んだ直後なので、この紹介文だけでちょっと泣きそうです。読んでいる間も、各章の区切りのたびに「あ、今泣けるな」って脳裏に浮かぶ、そんな作品です。

不変の住宅街と変化する老人

 この物語っていうのは、ラジオでも触れましたが、ほんとうによくある住宅街です。1年生から6年生まで合わせて一桁の離島出身とか、高級住宅で幼稚園から私立一筋なんかだと違うかもしれませんが、およその人が持ち合わせる、ベッドタウンのイメージに相違無いのではないかと思います。
 でも、それって不思議なもので、この本が刊行されたのは、1992年なのですが、私が小学校6年生だった21世紀においても、大きな違いは無かったように感じます。そして、おそらく今の子たちも。
 そんな子供にとっての社会って、別に大して変わらないのに、今の子供たちが思い描くおじいさんやおばあさんっていうのは、当たり前ですが、私たちが子供の頃のおじいさんおばあさんよりも若くなっています。物語の中で、主人公たちは見張っているおじいさんから戦争の話を聞くことがあるのですが、2020現在、いわゆる戦争はもう75年前。そこに参加していた人となると、果たして幾つでしょうか。今の子供たちにとって、おじいさんおばあさんというのは、戦後の人なのだろうと改めて考えたりもしました。

大人ってミステリー 

 大人は子供にとって、一番身近な不思議の1つです。仕事をするって何かもわからない。その人に大人じゃ無い時があったことも信じられない。その人が友達と馬鹿な話をしていることも意外である。
 作品内で、「わからないってことが一番怖い」と言及されていますが、少年たちはこのおじいさんに触れ大人を知ることで、死のみならず、大人になることの怖さが少しばかり薄れたのでは無いかと思いました。
 でも、大人も大人で「大人になった気がしねえ!」とか「大人になるってどういうことだ?」とか言っていたりするなあと思い当たり・・・・・・謎は深まるばかりです。

子供と大人の違いって

 これまたラジオ内の話ですが、ゲストの中村さんが「子供は経験値がないから、出来事にその場その場で判断しないといけない」といった旨のことを話してくれましたが、実際にこの本を読んでいて、すごくその言葉に納得感を覚えました。
 結局大人も子供も、考え方や論理の動き方みたいなものは大きく変わらず、それをうまく対処する方法を知っているかどうかなんだなと。その中で、この少年たちが選ぶ答えの真っ直ぐさのようなものに、幾度も心撃ち抜かれました。

さいごに

 おじいさんの庭に花を植えるために、花屋へ行ってコスモスを買うのですが、言及されている花言葉からして、コスモスはピンクなんですよね。おじいちゃんの家に撒くと聞いた上でピンクを大量にあげた花屋のおばあちゃん可愛いなって思います。


ラジオもあるので、今回は短めで。それでは。
kindle版がありませんが、今年の新潮文庫の100冊に選ばれているので、本屋に行けばまず間違いなくあると思います。ぜひ、お手に取ってみてください。





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