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なぜ、歌うのか?

サムネは博多から帰って来た直後。

BGMにどうぞ。
THE BLUE HEARTSで一番好きな歌「手紙」


手紙を書いたなら 空に飛ばすんだ
風が運ぶだろう 君のところまで

手紙/THE BLUE HEARTS

僕パンクロックが好きだ 中途半端な気持ちじゃなくて ああ やさしいから好きなんだ 

パンク・ロック/THE BLUE HEARTS

気が狂いそう やさしい歌が好きで
ああ あなたにも聞かせたい

人にやさしく/THE BLUE HEARTS

僕にはこんな気持ちがない。僕は君のためじゃなく僕のために歌う。それはまあヒロトも一緒なんだろうけど。

僕の知る限り、ヒロトが歌う理由は簡単だ。ラジオでロックを聞いて電撃が走ったから。

ヒロトには夢が出来た。そして「バンドを組んだ瞬間に夢は叶った」いやそれよりも前「放課後の教室で、ホウキをギターに見立てて歌った時」に夢は叶ったとヒロトは言う。



今、僕は福岡でオフ会をした日記noteを書いている。合気道とギターと哲学をやった。合気道を書き上げて、ギターを書こうと指を走らせてたら、向き合わなきゃならないことがあるなと指が止まった。それは

なぜ、歌うのか。

直感的に浮かぶのは、1月から日記を始めたら繰り返し書くことになった「寂しいし、わかって欲しい」からという理由。

絵を描く人にも、言葉にならない声を描いてる人がいるだろう。表現の方法として僕は歌を選んだ、それは確かにあるかも知れない。

わかって欲しいのであれば、誰かに聴いて貰わなければならない。承認が必要。承認欲求なんてものは「そんなものありません」とうそぶくものでもなければ「持ちたくないな」と忌むものでもない。

今は誰もいない河原で歌っているが、ある程度弾けるようになれば路上にも出たいし、まだ欲求はないがその先にはライヴがある。

しかし「寂しいし、わかって欲しい」という視点でみたら、どんなに大きな舞台に立とうが全国ツアーしようが、どこまでも孤独だろうし、全てをわかってもらえることもないだろうとは想像がつく。

ほんとうに僕はそんな理由で歌うのだろうか?考えを進める。

なぜ今、路上に出ないのか。

まだ自信がない。度胸がない。度胸はどうしたら付くか?練習?場数?考えてたら、いやそうじゃないな、度胸はもともとあるハズだとなった。度胸が何かに埋もれているのだ。

だってそうでしょう。何も知らない子どもは、どこであれ大声で歌うことが出来た。そこには承認欲求もなければ遠慮もない。

無邪気に、ただ、気持ちいいから歌う。

その度胸が、大人になるにつれ何かに埋もれていっただけなのだ。 

成熟とは、子供のころ遊戯のおりにみせた真剣さを取り戻すこと。

ニーチェも言ってた。

子どものころ朝食がパンなのが嬉しすぎてパンのうたを即興で歌ったときのように、ヒロトが教室でホウキを持って歌ったときのように、僕も20代で初めてバンドを組んだときは、そうやって真剣に歌ってたじゃないか。

ただただ気持ちがよかった。レスポンスがあればさらに気持ちいいことも僕は少しだけ知っている。

楽しいのはカンチガイ 哀しいのもカンチガイ 気持ち良いのはマチガイない チンポが言ってた

がんばるな/オナニーマシーン

人間の3大欲求。

これも繰り返し書くが。

食欲・睡眠欲・性欲。たしかに食べるのも寝るのもセックスするのも気持ちいい。だがそんなものが「人間の」3大欲求だなんて寂しい。それは動物の3大欲求だろう。

人間の3大欲求を僕は
問う・描く・歌う
だと思っている。

僕は問うた。なぜ歌うのか。
そして描いた。このnoteを。
そしたらそれを詞にして歌うのが僕の欲求。

聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で

TRAIN-TRAIN/THE BLUE HEARTS

ヒロト、だいたいのことは答えを書いてしまっているので、ヒロトめ〜〜ってなりがち。

僕は承認欲求がないとは言わないが、最近流行りの「何者かになりたい」という欲求はない。僕は、僕だ。

でも「何者ですか?」と聞かれて、言葉にすることが出来ないから、問い、描き、歌っていきたい。

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