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短大生の時に2つ掛け持ちしていたバイトのうち1つがやばかった


今回は、メンタル疾患の症状(境界性人格障害、抑うつ)に苦しみながら、メンクリ通院費、学費、留学費、貯金等を工面する為にバイトを2つかけ持ちしていましたが、2つのうちの1つがやばかった話をします。

まずはやばくない方のバイト先。以前にもチラッと記載しましたが、夜から店を開け、イタリアンとお酒を楽しめる場所でした。立派なグランドピアノもあり、曜日ごとに変わるピアニストさんが訪れ、ピアノも生演奏を楽しめる(リクエストも出来ちゃいます。)雰囲気がとてもよいお洒落な隠れ家的お店でした。私がバイト先を探していた時も、このお店のオシャレさにテンションが上がって応募しました。そして合格。黒いパンツ、黒いベストに白シャツはこちらが持参で、スカーフは支給された物を着用して、まるでバーテンダーみたいな装い。実際に自分でお酒も作って提供していました。
このお店はこじんまりとしているのもあり、基本的にオーナー(男性)と私の2人でまわしていました。注文を聞き、伝え、お酒を作り、料理を配膳するのは私。オーナーはというと、ワインのソムリエでもありお客さんの相談も聞いたりと、ホールではスーツをバシッと着こなして(とても似合っていてかっこよかったです。)接客していましたが、実は殆どは半袖で裏でオーダーがあったイタリアン料理を慣れた手つきで作っていたんです。(ギャップが凄くて面白かったです)お客さんが多く来る日は奥様もキッチンに参戦。基本オーナーのワンオペ(+私)〜手伝える日は奥様も料理を作るという「夫婦で営業」されていました。貸切の時もあります。その時はおばあちゃんも更にキッチンに参戦。(オーナーのお母様みたいです)そこまで行くと忙しいながらお祭りみたいで楽しかったです(笑)
オーナーはとても優しかったです。余裕があり、私がオドオドしたりお酒の作り方を間違えても怒らず、何度でも挑戦させてくれました。
1度、大変なことをやらかした時がありました。貸切で誕生日のサプライズ。ホールで忙しくするオーナーから「ケーキを出して」と耳打ちされた時に意気揚々と勢いよく冷蔵庫を開けると綺麗なケーキが無惨に落ちてぐちゃり、と……目も当てられない悲劇がおきてしまいます。その時は時が止まったみたいで、何が起こったのか分からなくて、暫く呆然としていたら異変に気づいて駆け込むオーナー。叱られる。呆れられる。謝らないとと思っていても言葉が出ず頭が真っ白になっていたら、「ごめん、俺が悪かった。」「あんな所に置いてた俺が悪かった、ぐらついてたね、落ちやすかった」とまさか謝罪をされ、次にやってきたオーナーの奥様にオーナーが事情を告げ、「ちょっと奥にいてなさいね、」と優しく言ってくれました。おばあちゃんからも大丈夫よ、と慰めてもらいました。そこで途端に溢れ出る涙。なんで私はこんな鈍臭いのだろう?ここぞという時に大ミスして。オーナー達にもお客さんにも迷惑かける。どうしよう。もうケーキ出す時間だよ?どうなるの?ケーキぐちゃぐちゃになったよ?今から1から作るのは無理だよね、とぐるぐる思考が止まらず涙も止まりません。
すると、奥様がやって来てお店の大きなグラスになみなみと注がれたミルクティーを「オーナーからだよ、」と渡してくれました。最初は遠慮が勝って口をつけるのを躊躇していましたが、やがて泣きながら「すみません」とやっと言えてミルクティーを飲む私。「誰だって失敗はあるからね」とこんな惨めな私を励ましてくれたのです。この時のミルクティーは本当に美味しくて優しかった。「ゆっくり飲みなね」と気も遣って頂き、それが上辺だけだとしても私には救いでした。ミルクティーを頂いたあと、「今日はしんどかったね、先上がっていいからね」と私のメンタルまで気遣って退勤時間はまだだったけども上がらせて頂きました。あの後ケーキがどう用意されたか分かりません。でも、初めて見た男性がヘルプとしてホールに入り、手慣れた様子で仕事をしていました。
オーナーの様な余裕がある人間って人のミスぐらいでくどくど文句言わないんだ。直ぐに事態に目を向けて今からどうしたらいいかとオーナーも奥様も思考を「次に」シフトしていて、私もそういう……語彙力がなくて上手く言えないのが恥ずかしいですが、ミスをいつまでも責めるより次どうしたらいいかを考えて行動できる人間になりたいなと深々思いました。
いつもここのバイトでは終電ギリギリまで働いていました。4大より圧倒的に忙しく時間が密な短大。毎日講義がみっちり朝から夕まである中、終わってからバイト。そして帰宅する頃には0時を過ぎるのは当たり前でした。もう家族は就寝している。机の上にはラップされた食事。この頃は家族と食卓を囲む、なんて事はほぼ無くなっていました。しかしですが私はハマっていた「ゲーム実況」(今も好きです)を見ながら食事をとっていたので孤独感とかは無かったです。寧ろ自由でよかった。そこから入浴、だらだらしていると睡眠時間は2時間程。わざと睡眠時間は削っていますが、そちらの理由は過去のnote参照です。そしてバイトに励む私。予約が無かったり、予約が少ない時はお掃除したり、オーナーに教えて貰ってレシートの整理。楽しかったです。しかし私がコミュ障過ぎてオーナーとあまりお話出来なかったのは今思うと勿体なかったなと思います。
なぜならオーナーはゲーム音楽が大好きだったからです。
発覚したのは、ピアニストさんが弾き始めた、かの名曲、「ザナルカンドにて」。内心めちゃくちゃ興奮していると、オーナーから「にわチャンさんはゲームとかする?」という質問が。いやもう私大興奮。「やってます……見るのもするのも好きです……」と伝えると「バイオハザードとか好きだったりする?」と聞かれ遂に私爆発。オタク特有の早口で「バイオハザードとかグロ系も好きです!ゾンビはゲームに関わらず映画も好きなんです!!ポケモンもほぼ全作してます……ポケモンだけじゃなくて任天堂ゲームはめちゃくちゃしてます。あ、あとモンハンも……」と初めてこんなにオーナーの前で話しました(笑)オーナーもぱっと花が咲いたように笑い、「めちゃくちゃ意外!どれもいいね。ここにくるピアニストさんもゲーム好きだしいっつもゲーム音楽弾いてくれるよ」と仰っていて、うわー勿体ないことした!沢山リクエストもしたかった!と「ザナルカンドにて」をききながら今までのこのバイトでの思い出を振り返ってしみじみしていました。それもそのはず、実はその日が最後のバイトの日でした。なんということでしょうか。バイト最終日に、バイト先のオーナーやピアニストさんとガチガチに趣味が合っていたことを知ったのです。とても悔しかった……。こんなにもホワイトなバイト先だったのに辞めてしまったのは理由がいくつかありました。
・終電ギリギリまで働くのがつらくなってきた。
仕事自体はやりがいもあり、オシャレで自己肯定力も上がりかなり楽しかったです。様々なお酒が作れるのも勉強になりましたし、お酒好きの私からしても後学のために役に立ちました(笑)しかし午前はみちみち講義、そして夜までもうひとつのバイトが入る時がある、からのこのバイト、と点々とするのは段々きつくなってきます。最後の方はほぼノーメイクで出勤してました。(すみません……)勤務時間を短くすれば?と思った方もいるかもしれませんが、夜から開き日付が変わる直前までの営業時間。働く時間を短くしたら1時間〜2時間くらいになってしまってわざわざ働きに出ている意味がありません。
・交通費が100%出ない。
求人にも書いてありその上で了承していましたが、交通費100%出ないのは思った以上に実際痛手でした。お店は都会にあり、短大から通っても交通費がかかります。稼いだ分が結構交通費で引かれ、バイトに入れば入るほど損しちゃってました。
以上の理由でバイトを自宅の近場の場所で1本にし、シフトを多く入れてもらった方が稼げるという結論に至り、泣く泣くこのイタリアンのバイトは辞めることにしました。オーナーに辞めることを告げた時は自然に受け入れて下さりました。もっと機敏に、臨機応変に動いてオーナーの役に立てるバイトでありたかったなと思います。それだけオーナーは人間ができている人物で、私が生きてきて数少ない尊敬する人物の一人でもあります。困った事があったら沢山オーナーに頼りました。実際困った事があったらすぐ言ってね、と言ってくださっていたのでかなり甘えました。そしてヘルプした時はオーナーはどんな時も全力でサポートして下さったり助けて下さりました。ドラマとか漫画でしか見たことない場面に遭遇した時もオーナーが助けてくれました。それは、ワインを語る男性です。暗号のような事を聞かれ、たまらずオーナーを呼びました。半袖シャツで料理を作っていたオーナーがバサッとジャケットを羽織り、襟を正してホールへと繰り出します。前述した通り、オーナーはワインソムリエでもあります。一緒に食事をしに連れてきた女性にいい所をみせたいのか、これまた暗号のような言葉が飛び出ます。しかしオーナー、どうやら誤っていた知識を披露していた男性に対して鮮やかに対応し、別のワインを紹介するとあれだけ回っていた舌が止まる男性。正直めちゃくちゃ面白かったし女性も笑ってしまっていました。男性は渋々オーナーが提案したワインを頼んで落ち着くことになるのでした(笑)
オーナーに「次のバイトは募集するのか」と尋ねた所、「暫くは入れないかな」との事でした。現在はどうか分かりませんが、私の余りの鈍臭さや貢献出来ていないせいで懲り懲りしちゃったのかなと内心不安になりましたがそれはどうかも分かりません。でも、私がミスした時も気にしなくていいよー!とさっぱり対応して下さったり、イタリアンの長い料理名もなかなか覚えられなくても配膳前に何度も教えて貰って確認し合ったりと私の事を「一個人」として考えてくれながら一緒に働いてくださり、本当に勉強になりましたし楽しかったです。この方のおかげで後の私の働き方に良い影響が出るのでした。

お次はやばかった方のバイト先。それは塾講師でした。短大生の時仲良くしていた子が塾講師でバイトしていて紹介してくれました。塾講師になるには説明会、そして適正試験を受けなければなりませんでしたが、その子の紹介が強く、パス出来ました。詳しく言うと、説明会には行きましたし適正試験も受けましたが結果はどうであれ合格したのです。今までのnoteを読んでくださっている方ならもうお分かりかと思いますが、私は壊滅的に数学が苦手です。前世は数学に殺されたんじゃないかと思うくらい頭に入ってきません。なので適正試験の数学の結果は目も当てられないくらいのものだったと思いますが、紹介してくれた子のお墨付きとあれば、と私は塾講師のバイトを始める事が出来ました。その子はその塾でも沢山の教え子を抱え、様々な教科も教えている実力者でした。その子は4大への編入を目指していたので、成績で分けられた短大のクラスではトップのAで賢く、実際に広く名の知られた4大に編入を見事成し遂げていた気がします。そんな子からのお墨付き、強い理由が頷けますね。しかしながら私は文系以外はてんでダメで、基本的に国語と英語を教えていました。(人手が足りない時は暗記系の社会や生物系の理科なども教えていました。)対象は小学生と中学生。個別の塾で、主に指導をしていたのは中学国語と英語2人、小学国語2人だったかと思います。塾長はいかにも偉そうで高圧的な中年女性。そして、新卒で入社し正社員として塾の中で2番目に偉そうにしていた若い女性。この人がやばい人で(以下、正社員と記述します。)、私の戦いが始まります。
私は最初は中学国語と英語を2人に教えるように言われました(この時点では指導を任されていた小学生はいませんでした。)中学生の2人は物覚えもよく、いい子達でかなり教えやすかったです。たまに雑談も挟みながら私は教える事にかなりやりがいを感じていました。使命感もあり楽しかったです。私って教えるのが好きなんだ、とこの時知りました。生徒からのテストで点数が上がった!の報告は何事にも変え難い喜びでいっぱいになり、自分の努力の成果だよ!とめいいっぱい褒めちぎりました。そうやって順調に塾講師のバイトに励んでいた中、ある出来事が起こります。
所謂「問題児」の指導を任されたのです。
小学生の子でした。その子は色んな先生からたらい回しにされる程態度が悪く、授業中も全く聞く耳をもたない、そして成績が悪いまさに問題児だったみたいです。しかし問題児という情報は、問題児を任せてきた正社員からは一切ありませんでした。この情報は塾講師を紹介してくれた子から聞いたのです。通りで、任せてきた時正社員は不自然ににやにや悪い顔をしていたなあと思いました。早速国語の授業。質問しても無視。成程態度が悪い。そして聞いていた通りほとんど問題は不正解。手強いな、と思いました。根気強く粘りました。押してダメなら引いてみろ、と息抜きに何もしない時間も設けました。四苦八苦する日々の中、ふと、「……国語嫌い?」ときいてみました。すると、「……嫌い」と返事が。そうかこの子は、困っていたのかもしれない。私が数学に対してそうなように、この子も頭に入らなくて嫌になったのかもしれない。私は、突然好きな話をしました。それはゲーム。すると生徒は目をまん丸にして(本当にまん丸でした笑)「……先生もゲームするの?」と驚いていました。そう言われてみればそうですよね。私も、教師はゲームなんてしないものだと思っていました(なんででしょうね笑)。先生もゲームするよ〜と言いながらちょっとだけお話。生徒も「そのゲーム好き!」と盛り上がったところで「じゃあ続きはここまで問題解けたらね」と言うと、初めて一生懸命問題用紙に取り組み始めたのです。ビックリしましたが凄く嬉しかったです。結果はバツだらけだったけどその後の態度もまるで違いました。ちゃんと正しく理解しようと私の話を聞いてくれたのです。それからみるみるこの生徒は国語の成績を上げていきます。そして、私は正社員から本格的に目をつけられていくのです。
「あまり勉強に関係の無い話はやめてくださいね」と生徒が帰ってから釘をさされます。私の指導方法は自分で良いとも悪いとも思っていません。でも全ての生徒に全く同じ教え方をするのは違うと思っていました。現に私がそうだから。皆と同じ教え方をされても分からなかったから。だから小学生の問題児だった生徒に何となくゲームの話をして気持ちをこっちに向けてもらうところから始めてみました。そして雑談も少しだけ。数十分もだらだら話していません。きっと、問題児だった生徒の成績を上げることに成功した(勿論生徒の力ですが、)私が鼻についたんでしょうか。生徒をたらい回しにしたり、新人の私を困らせる為に生徒を道具のように使って嫌がらせなんて性格悪すぎてまさにやばいです。ここからちくちくと私に嫌味、嫌がらせ等が続きます。
・バイトの始まる前と後は3時間塾に居ろと言われる。
抱えている生徒の数だけ問題用紙、宿題、を用意したり、採点作業だったりあるので分かるんですが、3時間もかからないし、私は担当生徒が少ないからまだましだったかもしれませんがそれでも強いられました。でも私は授業中生徒に向き合うのを第一にですが合間に次の問題用紙や宿題を作ったりしていました。私だけではなく他の先生もです。バイトが始まる30分くらい前に毎回着いていましたが事足りていました。定期的に正社員から怒られていましたが、授業中諸々の作成は禁じられていませんでしたし、文句つけたいなら授業中生徒が問題と向き合っている時間生徒の横顔ガン見してればいいのか?解きづらそうにしていたらすぐ対応していたし雰囲気で分かるし、生徒が勉強中逆にこっちも何かしてる方が自然でよかったと私は思っています。連絡帳(生徒が帰宅して塾での事を話し、保護者が感想を書く用紙。それに対して塾講師の私達もコメントや生徒の様子を書く)にも苦情はありませんでした。3時間なんて無駄な時間は掛け持ちバイトに短大生の私にとっては尚更無駄でしかありません。しかもコマ給なので勿論授業以外は無給。結果辞めるまでこのスタンスは変えなかったです。
・にわチャン先生って字が汚いですよね、と言われる。
シンプルな暴言で草。でも確かに私は字が汚いです。
・次の生徒が来るまで時間があったので正社員からポスターの作成を頼まれる。出来たものを渡すと「にわチャン先生ってこういう方が向いてそうですねぇ〜」と嫌味たっぷりに言われる。
今度からもお願いしますね、と言われて何度か押し付けられる。後で知ったことだが、雑務はコマ給が下がるらしかった。知らされておらず損をしていた。
・私がやろうとすることをなにかとつけて先に「○○した方がいいですよ」と言われる。ありとあらゆる小さなことから。書類コピーだったり問題集の準備、私にだけで、他の先生にはなかったです。「たった今やろうとしていましたが……?」と段々言い返すようになる私。ストレス半端なかったです。そんなにダラダラしているように見えたのでしょうか。
・安いコマ給でシフトを組まれる。つまり授業がない雑務の為だけに強制収集。
「私1人で」チャリで超広範囲でビラ配り。ポストだったり、人通りが多い場所でたった1人で大量のビラをさばく。配りきるまで帰ってくるなと言われました。ビラを受け取ってくれる人が神様に見えました。そして、ビラ配りの大変さが身にしみました。
雨の日はぼろぼろのビニール傘を正社員からずいっと渡されて駆り出されました。雨の日は嬉しそうな正社員。ビラが濡れるといけない、と提案しても行くことを強制されました。雨の日がより過酷になるから嬉しいんだなと察しましたが行き、私はびっしょり濡れながらビラをさばいていました。
第二の問題児の指導を任される
小学生のその子は最初の問題児とは違ってうるさいタイプの問題児でした。授業中は1人で喋ってる、奇声をあげる、クルクル回る椅子で遊ぶ、と全く勉強する気がなく、大人しくしたと思えば塞ぎ込んで私の問いに返事もせず鉛筆すら握りません。何も出来ないまま授業が終わる日々。宿題だけは、親が見るからかやってきていました。しかし授業態度だけは変わらず。「○○くん(問題児)うるさいんですけどちゃんと見てあげてくれませんか?」と毎回正社員から怒られる。わざとだろ、これがしたかったんだろ、と、問題児のうるささも相まってイライラが蓄積されて止まらず、ある日の授業で私はどん!っと机を叩いてしまいました
速攻でやってくる正社員。嬉しそうに「にわチャン先生!手を上げちゃダメですよぉ〜?!」と言われました。手なんて上げてませんが。問題児の生徒は特に普通そうでした。私は正社員を無視して「ごめんね、続きしよう?」と言うと珍しくその日は問題を解いてくれました。それからもなるべくイライラしないように接していました。以前の問題児より更に根気と体力が要りました。ある日、生徒の連絡帳の件で正社員から呼び出し。何かと思えば、保護者の方から「もう少し詳しく書いて欲しい」との事。貴方の子どもの態度の悪さを角が立たないように必死に考えて書いたのに……と思っていたら、「これはとても良くない。とんでもない事ですよにわチャン先生。」という言葉を皮切りに鬼の首を取ったような様子でくどくど嫌味文句説教が始まりました。内容はあまりに薄くて私怨だったので覚えていません。はい、はい、の繰り返しの機械みたいな返事をして連絡帳に謝罪と依然より詳しめの内容を考えて記入しました。それからいつぐらいでしょうか、その問題児生徒の成績が上がったのです。やったね、凄いね!!と褒めちぎりました。嬉しそうだったその子は、なんと「もっとしたい!」と言い問題を解くことに楽しさを見出していたのです。どの教科もそうですが、出来るとめちゃくちゃ楽しいですよね。特に国語は、分かり始めると伸びるし楽しい教科だと個人的には思っています。そしてまたある日にその子は、「国語が大好きになった!」と言ってくれて、私は泣きそうになりました。ちなみに私が手を離せない時、その子の授業を正社員がしてたんですが全然話も聞かず自由にしているその子に四苦八苦してイライラしている様子の正社員が見れてざまあみろとか思っちゃいました。
こうして私が抱えていた生徒達皆国語の成績(中学生は英語も)を上げてくれるという私にとって最高のプレゼントをくれました。しかし彼らとはお別れの時がやってきます。前述の通り、バイトの1本化の為この塾講師のバイトも辞めることになりました。コマ給も実は時給換算したらあまり稼げていない事が把握し、挙句更に安いコマ給で雑務をやらされましたし正社員は目障りでどちらにせよ辞めたかったです。辞めると伝えた時正社員は嬉しそうでした。
唯一の心残りが、生徒達。中学生の生徒2人は教えていた国語と英語の成績が上がり、希望校の合格圏内に入ったと言っていました。果たして合格出来たのか、知る前に辞めてしまった事が悔やまれます。けど、きっとあの子たちなら合格していると私は信じています。
あと、中学生の生徒からコソッと「にわチャン先生、正社員と仲悪い?」って聞かれて、思わず笑っちゃいました。やっぱり子どもって鋭いし見てるんだなって。無言で頷いたんですが、「俺も嫌い。皆嫌いって、この塾の子言ってるよ」って教えてくれたもんだから、心の底からざまあ!と思いましたね!気持ちよかったー!

そして色々ありましたが、バイト二つを辞めて自宅から近いショッピングモールで接客のバイトに合格し、シフトを沢山入れて貰って頑張っていました。そこでの社員さん、パートさんたちは優しい方だらけで沢山助けてもらいました。就活を始めた際も融通を聞かせてシフトを組んでくれたり、身体の調子が悪いが(自分が弱く、メンタル疾患とは言い出せませんでした……)働きたいと都合のいい相談をしたにも関わらず、シフトを少なめにして働かせてくれました。本当に有難かったです。配属された部署で唯一のバイトであり学生だった私はにわチャン、にわチャン、と皆さんから大変可愛がって頂きました。

やがて短大を卒業し、円満にこのバイト先を辞めて内定を貰った会社に勤め始めたのですがここから地獄が始まります。まだ未読の方、ご興味、お時間ございましたらどうぞ。

今回も長々とお付き合い頂きありがとうございました。ではでは。


にわチャンのお庭

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