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『意識の神秘を暴く』を読んで思ったこと

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神経科学関係の読書会を行うためのslackを作りました。興味があればぜひ参加ください。このslackで『意識の神秘を暴く 脳と心の生命史』の読書会を行っているので、自分の書評として読んだ際の疑問点や批判をまとめる。

2章
・4つのギャップを出し、のちに意識の条件として扱うが、クオリア以外は意識の有無と関係するようには思えない。そして、その後クオリアがあるということを無批判に仮定するので、これらの条件が意味をなさず、哲学ゾンビの批判を許しているように感じる。

3章
・本書全体を通してだが、人工知能の視点が丸々欠けている。情報に価値をつけることは強化学習等で普通に行われている。
・「感覚のマップがある→外受容の原意識がある」という理屈が分からない。例えば畳み込みネットワークの中間層は空間的マップを備えている。意識内容を外界のマップ上にとらえるということならSLAMなどでも行われている。麻酔下で網膜に像を見せると視覚野は反応するが当然意識には上らない。感覚のマップがあるが外受容の原意識があるの十分条件には当てはまらないように思える。
・反射の定義に意識のあるなしを使っており、自己言及的である。いかに刺激と反応の対応関係、その処理機構が複雑でも主観的意識を伴うとは限らない。恐ろしく複雑な歯車機構(解析機関)があったとしてそれは意識を持つのか?
・クオリアについて質的であると無批判に使っている。クオリアを区別できるのは量的であっても可能である。何らかのクライテリアや教師なし学習で連続空間上にマップされた情報を質的な記号に置き換えることはコンピュータもできる。情報を持つことが主観的意識と関係するとは限らない。

4章
・価値の文脈から外れるが、古典的条件づけでも無意識化で起こるものと、意識下でしか起こらないもの(痕跡条件)がある。オペラント条件付けを必要条件にするのは厳しいのでは?
・情感意識の基準は、好奇心などの内的動機付けを持つ強化学習エージェントなら欲求不満行動以外すべてを満たす。欲求不満行動を追加で実装するのはたやすいように思える。

6章
・外受容によるイメージと記憶や想像によるイメージの違いに触れてほしかった。外受容はそれで行動が変わったとしても心的イメージを持っているとは限らないが、後者は心的イメージでしか存在しない。後者ができることが意識の条件ではないかというのが反実仮想などの意識の理論で議論されている。

7章
・4つのギャップが意識の条件として出てくるが、2章のところに書いたように複雑性をとらえられていないだけで、生物にこれらがあることを証明できているとは思えない。
・意識を持っていればシステムが柔軟というが、非常に複雑なゾンビを思考することはいくらでもできる。

8章
・「なぜニューロンは主観的なクオリアを生み出すのか?」を二つに分けるのには賛成だが、「なぜクオリアは生まれるのか」にこたえているとは思えない。表6.3はすべて計算原理で説明でき、生物特有だとかは思わないし、これがあるから意識があるというのはすべて推測でしかなく、説明になっていない。これらがすべてあるゾンビは十分に考えられる。
・余談だが自己脳視装置に近いものがテッド・チャンの『息吹』で出てくる。

全体を通して
創発によって反射からそうでないものになるという部分に飛躍を感じる。
意識に必要な条件を挙げるのはいいが、それが十分条件なのか検討しないままその条件を満たせば意識があるとする議論が目立つ。
意識の神秘を暴くとしているが、創発によって生命を神秘化しているだけのように思える。

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