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マルちゃん正麺の炎上に見る #ラブタイツ との相違点

 ATSUGIのタイツ広告がフェミニストを始めとした女性に批判され炎上したのが記憶に新しいですが、今度はマルちゃん正麺が話題となりました。https://www.google.co.jp/amp/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/2011/14/news032.html

 フェミニストが批判し、アンチフェミニストがその批判に噛み付いているという点で共通点を見出している人が多いので、ATSUGIとの比較をしつつ整理しておこうと思います。ATSUGIの炎上に関しての私の見解は前回note記事を読んで頂ければ幸いです。https://note.com/niwa_haniwa/n/nf15077f2c76a

 前回noteでも書いた通り、広告表現における是非を語る際は、「道徳・倫理的善し悪し」と「宣伝効果としての良し悪し」という二つの観点があります。

道徳・倫理的にアウトか?

 まず前者の視点から見ていきましょう。ATSUGI炎上の際は「性的消費」「性的搾取」「男性目線」という単語こそ議論が紛糾しましたが、「タイツを客体として見て愛でるフェチズム的視点をタイツメーカーが公に押し出して良いのか」という問題提起は一定程度妥当性のあるものでした。いわばゾーニングの問題として、「女性に恐怖心を与えるような一部の好事家のエロ目線は然るべき場所でひっそりやっとけ」という批判もあっておかしくないでしょう。(勿論、「私は気にしない」という女性もいると思いますが)

 では今回のマルちゃん正麺の炎上ではどうか。批判された論点は性的云々ではなく「夫が野菜も入れない袋麺を子供に食べさせている」「妻が仕事から帰ってくるまで洗い物をせず、妻が洗い物をすることになっている」という点です。つまり「作中の夫の振る舞いが(批判者の)常識から外れている」という意味で批判されているのです。私の感覚では「夫が子供の面倒を見ているだけで偉いじゃん。ワンオペ育児してたら夜まで洗い物が残ってることくらいあるだろう」とは思いますが、しかしそう思わない人もいるのでしょう。感覚は人それぞれなのでこの夫を好まない人がいるのも仕方ありませんが、しかし「PR漫画に出てきたキャラが気に食わない」ということが、会社の道徳的責任に結びつくとは言いがたいでしょう。

 「出てきたキャラが(自分から見て)ろくでもない」ということに対して、批判する自由はあります。しかし「ろくでもないキャラを描いてしまった」ということ自体は罪ではありません。涼宮ハルヒシリーズを読んで「涼宮ハルヒは我が儘で横暴でみくるちゃんを虐める最悪なキャラだ」と批判するのは自由ですが、「我が儘で横暴でみくるちゃんを虐める最悪なキャラを描いた谷川流はパワハラ・セクハラを肯定する最低の人間であり作品を撤回し謝罪すべき」と批判するとまた論点が変わってきます。

 もし、ろくでもないキャラを肯定的に描き、企業としてそれを勧めるメッセージを発信しているのであればそのメッセージ性に関して批判の対象にもなるでしょうが、しかし「タイツはエロくて魅力的」というメッセージを打ち出したATSUGIとは異なり、マルちゃん正麺の打ち出しているメッセージは「夫も家事育児をしよう。マルちゃん正麺がその助けをします」というものであり、その描き方に対する批判があったとしてもメッセージ性に対する道徳的批判には結びつきません。

宣伝効果はあったのか?

 「問題だ」という人に「私は問題とは思わない」と言っても感情的な水掛け論にしかならないので、より実利的な観点、宣伝効果について論じます。

 これに関しては半ば結果論にはなりますが、「炎上が宣伝効果を高めた」と言うことができます。ATSUGIの炎上の場合、批判者は主な客層と被っており、批判者を批判するPRの擁護側はタイツを買わない男性オタクが大多数でした。炎上し、Twitterのトレンドに上がり、ネット記事になって延焼するほどにPRの認知度は上がり、反面女性からのブランドイメージは下がっていく状況だったため、突っぱねて炎上を長引かせるよりさっさと謝罪・撤回して継続ダメージを断ち切った方がブランディングとして上策だったと言えます。

 対してマルちゃん正麺の炎上の場合、批判者は夫の家事参加を厳しく精査するフェミニストの一部であり、擁護側はその他大勢となっています。炎上してマルちゃん正麺が声明を出すまでは批判者の目に触れることが多かった(=ブランドイメージにダメージがあった状態)ですが、ネットニュースになりトレンドに上がって認知度が上がるにつれ「どこが問題なんだ」「マルちゃん正麺買います」という擁護派が増え、ごく少数の批判者が見えないくらいになっています。「批判者=既存顧客、擁護側=非顧客」という状態では炎上するほど損ですが、「批判者=少数の潜在顧客、擁護側=多数の潜在顧客」という状態では、炎上するほど多くの潜在顧客に届き、宣伝効果が高まるのです。今回マルちゃん正麺公式は“今後の掲載につきまして現在精査しております”としてキャンペーンの撤回や謝罪はせず判断を保留していますが、そうして保留できる程度には例の漫画が好感をもって受け止められている(=宣伝として成功だった)ということを結果論ですが読み取ることができます。

表現の自由と、表現を批判する自由と、批判を批判する自由

 上記2点から、ATSUGIの炎上とは異なり「マルちゃん正麺はPR漫画を取り下げる必要は無い」というのが私の見解ではありますが、しかし今後マルちゃん正麺がキャンペーンを取りやめ謝罪したとしてもその判断を責める気にはなれません。

 「全く問題無い、誰にも批判されない表現」というのは存在しないのでどんな表現にも多かれ少なかれ批判がある訳ですが、それが少数の言いがかりに過ぎないかそれともブランドイメージを致命的に毀損するものなのかは担当者の嗅覚によって敏感に時流を読み判断しなければならないのです。明確な基準をもって「この表現は絶対にアウト」「これは絶対にOK」と言えるものではありません。

 どんな宣伝広告を打つかは企業の自由です。どれだけ批判されようと、ブランドイメージを損なおうと、リスクを承知でキャンペーンを続けるのも自由です。例えばコンビニ各社はレイシストから「パッケージにハングルを使うなんて反日・売国企業だ」と不買運動仕掛けられたりしてますが、一顧だにせず無視しています。企業にはその自由があります。

 対して、その広告表現を批判するのも自由です。「なんかウザい」というレベルの感情論で企業を嫌う自由もあります。電凸等繰り返して業務妨害をしているなら法律に触れますが、ネット上で嫌いな広告に文句を言うくらいは自由です。

 そして、その批判に対してアンチフェミニストやオタクやそうじゃない人たちが「どこが問題なんだ」「言いがかりだろ」と批判するのも自由です。一部のおかしい人の発言をよってたかって叩いてかえって拡散してるのなんて実に馬鹿らしいと思いますが、しかしそうして批判者を晒して叩き嘲笑するのも表現の自由なのです。

 ツイッターランドは今日も表現の自由が尊重されているユートピアだということですね。喜べ。

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