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同性愛を愛する差別主義者たち

 皆さん、百合は良いものですよね。尊く、美しく、瑞々しい。人の欲で穢れた現世に顕現したる真善美です。

 え、そうは思わない?

 そんな貴方はこの記事の想定読者ではありません。お帰り下さい。これは百合、もしくはBLを愛する人に向けた記事です。


 先日私は「万物は百合である」という、この世の真実を記したnoteを書きました。また、それ以前にはフェミニストについて語る記事でLGBTを含んだジェンダー平等について触れたこともありました。百合を好むこともジェンダー平等も共に両立したいものではありますが、しかしそれらは実は相反するものです。

 もしかしたら世間には私のように「自分は百合(またはBL)が好きで、同性愛者を応援したいと思っているからジェンダー平等の意識が高い」と思っている人もいるかも知れません。しかし、「同性愛者を好む」ということは「同性愛者を嫌う」のと同じくらい差別的な行為なのです。

 現実の同性愛は美しいものではありません。異性愛と同じように浮気もあればヤリ捨てもあり、クソな奴も当然います(異性愛と違うのは妊娠トラブルが無いことくらい?)。異性愛者が同性愛を過度に美化し娯楽として消化するというのは当事者にとっては迷惑千万な話でしょう。たとえば、ルッキズムに基づいて女性の容姿を褒めることが時にセクハラとして扱われるように、見るものが勝手に自分の物差しで他人を測り娯楽として消化する行為は大変失礼な加害行為です。障害者差別において「感動ポルノ」と揶揄されたような搾取の構造が、百合やBLといったものの中にも見出せるのです。

 また、セクシャルマイノリティの差別撤廃を訴えるレインボーパレードが注目を集めると、まるで同性愛者が可哀想な無垢の被害者であるかのように思われることもあります。しかし実際には同性愛者として人生をエンジョイしている人も当然いますし、異性を見下し差別している同性愛者も少なからずいます。

 私はこの前“ホモ”を自称する人とクソリプバトルをしたのですが(それがよくある同性愛者の自虐なのか、それとも同性愛者を騙る差別的な異性愛者かは分かりません)、その人もはっきり女性蔑視の価値観を持ち、男性に対してもステレオタイプな差別を抱いていました。またこれは当事者の方からの又聞きの情報ですが、ゲイバーにはイケメンのゲイを見て騒ぎたいだけの腐女子が来ることも多いらしく、裏で腐女子をボロカス言うゲイも少なくないそうです。異性愛者の男性の場合、内面に女性蔑視を抱えていようと「女の我儘を聞くのが男らしさだ」というジェンダー的な抑圧や「女をちやほやしてモテたい」という欲目によって、外見上は紳士のように振る舞っていることも多い為、相対的に同性愛者の方が差別的な言動を表に出しやすいという面はあるかも知れません。

 よって、百合やBLを好むのは勝手ですが、それをもって現実の同性愛を美しいだなんだと言ってはいけません。「同性愛者が差別に遭うのは可哀想だから差別を撤廃しよう」という考え方も差別です。世の中には可哀想とも思えないクソ野郎も多々いますが、そんな人たちにも感情にかかわらず認められるのが人権なのです。

 制度的差別を撤廃し同性愛者が救済されるべきなのは、同性愛が美しいからではなく、同性愛者が可哀想だからでもなく、同性愛者が人間だからです。

 百合やBLを愛する人たちは、自分の内面の差別感情と真摯に向き合い、謙虚な気持ちで壁や観葉植物となりましょう。

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