抱腹絶倒日記、1979年の夏休み

昨日のことはあまり書きたくない。
何にも面白いことがなかったし、クソ猛暑だったからだ。

アイドルなどが、
「もうすぐ夏だね!」
とか言うが、ここ10年くらいか? あまりに暑すぎて、

「縁側で風鈴の音(ね)を聞きながら、かき氷やスイカを食べる」

みたいな楽しみ方は、東京ではもう二度とできないだろう。

ところで、私は幼少期に中学受験をしている。
なぜか第一志望しか親に受けさせれもらえず、そこも落ちてしまったが(その辺のことはいつか書くかも)、
1977年の小学四年生からほぼ本格的な、中学受験向けの塾通いが始まり(学習塾には小三から言っていたが)、78年(小五)、79年(小六)と、ずっと塾ばかり言っていた。

夏休みは、当然夏期講習がある。
40日間の夏休みのうち、半分以上は塾に通っていた記憶がある。
さだかではないが、二週間、連続で休めたら「休みが多いな」と思っていた。40日間、まるまる夏休みを楽しんだ記憶は、少なくとも小四から小六までは、ない。

私が私立中学を受験することは、両親からなしくずしに決められていて、私の自由意思はなかった(今はどうだか知らないが、70年代の小学生の親の扱いなんて、おおかたそんなものだろう)。
中学受験が失敗したことは、私のその後の人生において、今に至るまで暗い影を落とす。
しかし、強制的に少年野球をやらされようと、ダンスをやらされようと、どちらにしろ何のメリットもなかったと思う。
それを悟るくらいは、自分も大人になったということだ。

古い歌で恐縮だが、子供番組「ウゴウゴルーガ」のエンディングテーマ「ショーガクセーイズデッド」の中で、
「授業はわりと面白いけれど、先生、漢字違ってるよーっ!!」
というセリフがある。

私は素直な子供だったので、
「授業もよく聞けば面白い、勉強も大変だけど面白い」
と小六までは思っていた。
「ショーガクセーイズデッド」の歌詞のように。

しかし、中学受験で落ちてしまってから、変わった。
「受験に落ちてまで、『授業もよく聞けば面白いですよ』なんて、よほどのボンクラの言うことだな」
と。

それ以来、学校の授業など、面白くも何ともなくなった。

偏差値20の、アホか不良ばかりの学校があったとする。
そこでいちばん頭がいいとされるガリ勉がいたとして、みなさんはどう思うだろうか。
同じクラスの、アホか不良よりも、そいつのことをバカだと思わないだろうか?
「そんなに勉強が好きなら、もっと上の学校に行けよ」
と思うだろう。

それと同じような思いが自分にはあった。

私にとっては夏休みも、
「受験は夏で決まる!」
みたいなスローガンしか思い浮かばない。
で、結局、落ちてしまったんだから、夏休みを返上して勉強してもすべて無駄。

しかも中学受験は、浪人することができないから、リベンジさえ許されない。

中学受験のためにやったあらゆる苦労、喜び、悲しみ、それなりに気を遣ってくれた家族の気持ち、
すべてが落ちたことによって、ゼロになる。
(両親も、ゼロであるような評価しかしてくれなかった。「次は高校受験だな!」と言われた。中学に入る前に。)

このことを愚痴ると、よくもののわかったような優等生のメガネ美女が、
「でも中学受験で覚えたことは、無駄じゃないんじゃない?」
とか聞いたふうなことを言うが、
「じゃあおれが小学生時代に勉強したことのごほうびで、あんたのおっぱいでも触らせてくれるのか!?」
と思ったが、セクハラで死刑になると思い、唇をかみしめて耐えた。

その後、帰り道、めちゃくちゃキレイな西洋風の住宅があったので、そこの門の端っこの方に置いてある小さな小便小僧の石膏像に、手を合わせて帰宅した。

おしまい

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