見出し画像

『出せない封筒』

――
―――

 私は数ヶ月に一度、断捨離をする。
 それは洋服だったり本だったりするが、捨てるのにはなかなか勇気がいるものだ。
 なんせ、汗水垂らして働いたお金で買った物だし、一度はそれに惹かれて手に取り、家に招き入れた物なのだから。
 そんな物を簡単に捨てられるのはよっぽどの物好きか、もしくは「物は物だ」と割り切れる人くらいだろう。
 私にはそのどちらも当てはまらないため、毎回悩んでしまうのだ。
 チェストの中段を整理し終えると、今度は上段の引き出しに手を伸ばす。
 そこにはアルバムや手紙などが入っているのだが……私はそこでピタリと動きを止めた。
 そこには封の固く閉じられたA 5サイズの封筒があったからだ。
 住所が書かれ、切手も貼られたそれは、もう何ヶ月も引き出しの中に入れられたままになっている。
 私はそれを手に取る。
 少し厚みのある封筒は、指先で軽く押してやると、紙の乾いた音と共に柔らな感触を伝えてきた。
 中身は見るまでも無い。私が作った巾着袋が入っているはずだ。いや、入っていて当然である。
 しかし、何故この封筒がここにあるのか?
 何故、ポストに投函していないのか?
 理由は簡単だ。
 送る相手がもうこの世に存在しないからである。

 この巾着は、一昨年の敬老の日に祖父に贈ろうと作った物だが、結局渡せずじまいで、今も私の手元にあった。
 封筒に入れたものの、「直接渡したい」という気持ちが強く残り、「それならいつか渡そう」と思い続けて、結局はその「いつか」という日は来なかった。
 祖父は何度か体調を崩し、その度に入院していたが、いつもケロリとした顔で退院してきて、また仕事に戻っていった。
 敬老の日の後も、祖父は体調を崩して入院やら手術やらと忙しくしていたので、渡す機会がなかったのだ。
 母も祖母も、「重い病気では無いから、すぐに退院できる」と気にしていなかったようだったので、私もそれ以上深く考えることはしなかった。
 祖父は退院後も元気に過ごしていたので、「キリも悪いしお正月に贈ろう」なんて呑気な事を考えていた。
 それがいけなかったんだと思う。
 年末になった頃、祖父は再び入院した。そして1月21日にこの世から旅立って行った。
 死因は病気ではなく、投与されていたステロイド剤の副作用によるものだった。
「明後日には退院する」と溌剌としていた祖父は深夜に眠ったまま息を引き取ったそうだ。きっと本人もまだ夢の中だと思っているに違い無い。
 コロナ禍の影響で、私は一度も面会も出来ずにただ母からかかってきた電話で祖父の訃報を聞いただけだった。
 祖父の最期に立ち会えなかったことを悔やんでも悔やみきれない思いだったが、私がどんなに会いたくても、もう二度と会うことは出来ないという事実だけが重く心に伸し掛ってきた。
 電話を切った後、そのまま干からびて死んでしまうんじゃないかと思う程泣いたが、不思議と涙はすぐに枯れてしまった。
 残るのは抜け殻のような体だけ。
 喪神してしまった私は葬儀の行われる日、2時間の遅刻をした。
 親戚一同が揃う中で、一番最後に会場に入った私を見た親族達は一様に悲痛な表情を浮かべていた。
 皆が遺骨の前に集まり、それを壺に移つしている間、私は隅っこの方で明後日の方向を見つめながらボーッと立っていた。

 覚えているのは慣れないヒールで擦れた踵の痛みと、お香の匂いだけだ。

 あれからもう一年と数ヶ月が経つ。
 時折脳裏に蘇る祖父との思い出はどれも古びたフィルムのように色あせていて、まるで映画を見ているような感覚である。
 夏休みに祖父が育てたトマトやきゅうりを採ったこと、食後にカチカチに凍ったチューペットを食べたこと、公園で祖父に抱っこしてもらいながら雲梯したこと……。
 走馬灯の様に駆け巡っていたそれらは、今となっては全てモノクロ写真の向こう側の出来事みたいに感じるのだ。

 私はそっと封筒を引き出しの中に戻す。

 頬には生暖かい水滴が流れ落ちていた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?