見出し画像

【小説】[0.0.0] RePose [alpha]

ReSeT Beta < Blue the 'Signs' >

ストーリー一覧

マガジンをフォローすると最新話更新の通知を受け取ることができます。

ReSeT | ナイトロ | note

***

<L.O.G.>

RePose [alpha]

 まずは、この状況を招いたことを謝らせて欲しい。
 私は凡人だ。たったそれだけのことを理解するのに――いや、受容するのに、一〇年以上の時間と自分の可能性、そして君の可能性までもを犠牲にしてしまった。
 決して恵まれた人生ではなかった。辛いことや苦しいこと、悲しみ、怒り、焦り、そして罪悪感。大人になればなるほど、心の積荷はどんどん重くなった。いまもまだ痛みに耐えながら、この手紙を書いている。
 君には自由に生きて欲しいと、あのときそう言った。その力があれば、この先何があろうと、君は安泰だ。人々の尊敬を集め、あらゆる富を引き寄せ、よこしまなところのない純粋な善意の中で生きていける。それは、きっと幸せなことだ。
 私はサタンに屈した。怒りと嫉妬に呑まれた者として、この末路は妥当だと思っている。墜ちた私が家族である君にできるのは、君から離れ、同じ轍を踏まないよう遠くから導くことだけだ。
 でも、
 それでも、もし君が僕の家族でいてくれると言うなら。
 そのときは、君は君の意志に従うといい。

 君の行く末に、どうかご加護のあらんことを。

 愛を込めて。

***

 時は、ただ静かに過ぎていく。 だがそれは、頬を撫でるそよ風のように心地のいいものだった。
 夕陽の染みた花々が揺らぐ。
 遠くに見えるビル街の明かりが、少しずつ目立ち始める。
 美しい夕焼け、というわけではない。西の空では赤い輝きが最後の光を放ち、天蓋は灰をかぶったように暗い。
 春先の風はまだいくらか肌寒く、ひざ掛けがなければ、こうして景色を眺めることも叶わなかっただろう。
 悪くない。そう満足して、背もたれに体を預ける。
 雲の向こうで、太陽が沈んだ。灰青色の空の下で、街がネオンの――いや、今の時代はLEDか――明かりに包まれていく。
 ガーデニング用の太陽光パネル付き証明が、日没を察知して燈をともす。その光を浴びて、花壇のコチョウランがほの白い輝きを放った。月明かりにも似た、やわらかな光。
「綺麗……」
 彼女はその光景に魅入られ、嘆息を漏らす。うっとりとした様子で花壇を眺める彼女もまた、美しかった。粗雑な電灯の明かりにも埋もれることのない、白く優しい燐光。それはまるで、一輪の白百合の華のようだった。
 彼女は膝を曲げて屈む。だが、それは花をもっと近くで見つめるためではない。車椅子に乗った僕と、視線の高さを揃えるためだった。
「なおくん」
 彼女が僕を呼んだ。錆びついた体ではゆったりとした動作しかできず、振り向くだけでももたつくが、彼女は待っていてくれた。
 ロイヤルブルーの瞳。僕の顎を包み、頬を撫でる両手。暖かな気持ちが伝わってくる――というのは、僕の思い過ごしではあるまい。痛みが溶けていく、そんな感覚がした。
「大事なお話……聞いてくれる?」
 軋む体でゆっくりと、頷く。
 膝の上に置いた僕の手に手を重ね、彼女はゆっくりと話した。
「ひとつだけ、約束してほしいことがあるの」
 そうか。僕は呟いた。
「難しい約束なのか?」
「ええ。とても」
 それを聞いて逡巡する僕の手を、彼女はそっと握った。
「だから、守ってほしいとは言わないわ。でも、憶えておいて」
 彼女はそっと顔を近づけて、僕と額を合わせた。宝石のような瞳に見入る僕に微笑みかけると、彼女は静かに瞼を閉じて囁いた。
「苦しいことや、悲しいこと、辛いことは、わたしに教えてほしい。わたしはあなたの、なにもかも分かち合える家族でありたいってことを」
 ここ数日の経験から類推する限りは、そう難しい話ではなさそうに思える。しかし、だからこそ、この言葉にはなにか深い意味、願いや祈りが込められているような気がして、僕は確かめるように彼女を見た。
 わずかに血色の抜けた頬に、下がった口角。重ねた手を震わせ、目を伏せた彼女はなにかに怯えているようにも見える。普段あまり見せない、彼女の弱った様子に、僕は覚悟を決めた。
「……わかった」
 はっとした表情の彼女と視線が合う。僕はきっと、ぎこちない笑みを浮かべたはずだ。なんと応対すればいいのかわからなくて、苦し紛れに。時間の鎖で縛られ、腕も足もまだ動かない身には、そのぐらいが精一杯だった。
「何かあれば、必ずお前に話す。約束だ」
 正直、守りきれる自信はなかった。だが不安を感じている彼女を、たった一言で楽にしてやることができるなら――もし約束を違えたときは、この身に咎を負おう。彼女の常日頃の献身、その対価として。

***

 少女は、車内から空を眺めた。
 曇天。今にも落ちてきそうな重い色の雲が、空を占めている。不意に、手持ちの日傘のハンドルをぐっと握りしめた。雨……ではないといいが。
 車は高速道路を降り、一般道を数分進み、そして停まった。詰所から出てきた警備員が車のナンバーを手持ちのリストと照合し、ゲートを開放する。
 構内は殺伐とした雰囲気だった。人気のないグラウンド、クスノキの枯れ葉が舞うテニスコート。五階建ての校舎は、屋上に有刺鉄線付きのフェンスが、窓には金網が設置されていて、灰色の空の下で遠くにそびえる様子はまさしくパノプティコンのようであった。
 悪趣味だ。言ってしまえばそれだけだが、彼女にはそれを断罪できない。なぜなら彼女もまた、図らずも、このシステムに加担した人間の一人となってしまったのだから。
 陰鬱な気分は、ついに晴れなかった。敷地中央のバスターミナル。その端に設けられた身障者用スペースに、車は停まる。
「到着です、お嬢様。お足元にお気をつけてお降りください」
 彼女は頷き、スライドドアのドアノブを引いた。
 日傘を広げ、その影に佇む少女。身長は一六〇……いや一六五センチか。肌も髪もメラニンが薄く、白亜の色をしている。端麗で鼻の高い顔、そしてロイヤルブルーの瞳。その優美な立ち姿は雅で、かつ荘厳だった。学生服を着てはいるものの、子供には見えない。
 彼女は視線を、対岸のバス乗り場へと向ける。列をなす生徒たちの顔は見渡す限り覇気がなく、疲弊していて若さというものが感じられない。この国の人々は大人しい国民性だとは言うが、まだ成人してもいない子供が、これほどまでに活力を失った表情を浮かべてバス停の列を成す様子は不気味の一言に尽きるものだった。彼女には、彼らが出荷される製品か、あるいはもうすでに消耗してしまった部品(パーツ)のように見えた。
 ……これが、搾取される人々の実情ということか。
「瑠海さん」
 生徒たちを眺めたまま、少女は運転手に呼びかけた。すぐに、はい、という返事があった。
「あなたは、こんな環境で育ってきたのですか?」
 返事はなく、ワンボックスのバックパネルを閉める音が響いた。
「ご心配は無用です。どのような教育を受けたにせよ、今はこうして、お嬢様の下に仕えさせて頂いていますから」
 微かなモーターの動作音が、足音とともに近づいてくる。
 成したことには、責任が伴う。たとえそれが偉業であろうとも。世界を変え、多くの人間の人生に不可抗力を加えてしまったのだから。 「でも瑠海さん……私は……」
 晩春の冷たい風に流されてしまいそうなほどに、小さな声。しかし、天田瑠海はその声を聞き逃さなかった。この幼い主人の心を支えるのも仕事のうちだと、心を鬼にしてぴしゃりと言い放つ。 「お嬢様。それは、今の貴女が悩むべきことではありません」
 天田が運んできたのは、車椅子だった。一対の車輪を持ち、左の肘掛けにジョイスティックとパネルを備えた電動の車椅子。
「旦那様はお嬢様の力を必要としているはずです。他のことに心を痛めている余裕はないかと」
 彼女は目を伏せ、そして目を閉じて、ネックレスを握る。ちいさなわたしを、どうかお許しください。そう祈り、一呼吸おいて顔を上げた。
「ありがとうございます。瑠海さん」
「礼には及びません、お嬢様。さあ」
 ハンドルを押して、少女の後ろまで車椅子を持っていく。彼女が座ったのを確認して、天田は手を離す。ウィン、と小さな唸りを上げて、車椅子は一対の車輪で「自立」した。
 ジョイスティックを操作して車椅子を九〇度回転させると、少女は瑠海に微笑んだ。
「わたしはわたしの責任を果たします。あの子と……それから、自分のために」
「承りました」
 天田はこの小さな主人を誇らしいと思った。だがそんな感情はおくびにも出さず、いつもどおりの機械的な対応をするのが、彼女の思うところの完璧な仕事だった。
「近くで待機しておりますので、ご帰宅の際にはお呼びつけください」
 少女は頷き、回れ右して噴水の向こうの建物を目指した。彼女の背中に、天田は深々と頭を下げた。
「お気をつけて、行ってらっしゃいませ」

 それは、シックで瀟洒な空間だった。
 真紅のカーペット。応接用のソファが大小合わせて三つ、ローテーブルが一つ。部屋のドアをくぐると、黒檀の机の向こうから部屋の主が出迎えてくれた。
「お久しぶりです、博士」
 余裕のある笑みを浮かべ、主――城見理菜は車椅子の少女に歩み寄る。だが少女の方はといえば、にこりともせず、むしろ眉の端を下げた困り顔をしていた。
「その呼び方はよしてください、会長さん」
「そうですか、失礼しました…………では、閣下、と」
「それもです」
 硬い声だった。
 たおやかな佇まいの少女から、間髪入れずに二度も拒絶を喰らい、理菜はたじろいだ。
「どうしてですか? ご自身の名誉なのに」
 城見理菜には不思議だった。自分より一つ年下、弱冠一六歳にして博士号を持ち、科学の発展に大きく寄与し、その功績をたたえて史上最年少で勲章を授与された。その輝かしい半生には、一点の曇りもないように見える。
 だが、それは違う。少女は頑なに、首を横に振った。
「どちらも、その名誉はわたしではなく彼のもの。ですからわたしのことはただ名前で、――とお呼びください」
 そこまで言うなら、と理菜は頷く。「彼」もそうだが、この少女も訳ありなのだろう。そうでなければわざわざ日本に、それもましてやこの高校になどやってきたりはしない。
「わかりました。では、――さん。まずは、その車椅子の理由をお教えいただけますか?」
 少女は反駁することなく、見た目通りの淑やかな所作で頷いた。
「ご心配なく。怪我や病気ではありません。これはただ、彼の痛みを知るための行いです」
 痛み、と。だがどことなく物騒な言葉の響きとは裏腹に、少女は笑っていた。柔らかな笑みと、包み込むような目線。左手はペンダントを握り、右手で車椅子の肘掛けをさする。もうすぐ、これに座ることになる「彼」のことが、頭に浮かんでやまないのだろう。
 理菜も、思わず相好を崩す。
「ふむ……。『下見』、というわけですか……では、その制服も?」
「はい。しばらくは、この学校でお世話になろうと思っています」
 ほう、と理菜は少女に聞こえるように唸った。望んでいた返答ではあったのだが、先程のやり取りからして望み薄ではある。だが一縷の希望に事の行く末を託すこととして、彼女は居住まいを正した。
「ご覧になりましたか? ここに通う生徒たちの顔を」
「はい。元気のない、疲れ切った表情でした」
 言うやいなや、少女はうつむいてその長い睫毛を伏せた。やはり、なにか思うところがあるらしい。人の弱みに付け込むような物言いになってしまうのを覚悟しながらも、理菜は言葉を重ねた。
「……我々は棄てられた世代です。彼らのような「普通」の人々では、希望を持って生きることができない。そんな時代に生まれてしまった」
 時代、か。理菜は自分の発言を噛みしめる。エポックメーカーに対してこの言い草、実質ただの小言、あるいは言いがかりだ。事実とはいえ一方的に少女を攻め立てるようで、理菜は思わず背を向けた。黒檀の机の後ろ、窓に近づきブラインドの隙間から外を眺める。
「我々はスケープゴートです。前の世代のツケを払い、後の世代の礎となることを運命づけられている。誰も味方になってはくれなかった――だから、私は声を上げました」
 もう、一年以上も前のことだ。積み上げてきたものをなにもかもかなぐり捨て、この現状を打破するというとてつもない目標を掲げて、がむしゃらに走り出したのは。今思い返せば、あれは狂気の類だったかもしれない。たったひとつのよくある悲劇に耐えかねた自分は、息切れすることなく今も走り続けている。
「C.RE.S.T.を立ち上げ、生徒会を作り、とうとうここまで来ました。でも、現状は先程、あなたがご覧になった通り。我々には、更なる力が必要です」
 意を決し、理菜は振り返った。少女も顔を上げたが、目は伏せたまま。その意志は定まっているようだった。だが無駄とわかっていようとも、その願いを口にせずにはいられない。
「――さん、どうか、お力添えを賜えないでしょうか」
 静寂。  応じる言葉はなく、少女はロイヤルブルーの瞳を伏せていた。  切実さの滲む声ではあったが、しかし少女の心を揺らすまでには至らなかったようだ。頭を振る少女を見たとき、理菜はほっと安堵する自分に気づいた。どのような目的であれ、他人の弱みを握って言うことを聞かせるのは気が引ける。それに、こういう手合の――つまり、神からなにかを授かったとしか言えないような人間を、個人のつまらない動機で始まった活動に引き込む、その責任は負いきれるのか、という理由もある。要するに、少女は理菜の手には余る存在なのだ。
「ごめんなさい、会長さん。わたしはもう、大きな力は持たないと決めました。もちろん、この名に委ねられた権威を使うこともしません」
 なるほど。先の拒絶も、これで少しは腑に落ちた。理菜にとって少女が手に余る存在であるのと同様に、彼女も彼女の力を扱いきれないのだ。制御を離れた力は濁流となって、彼女の最も大切なものを傷つけた――今のところは空想でしかないが、説得力のあるシナリオだ。
「……やはり、そう仰るのですね。行き過ぎた発言、お許しください」
 理菜は心から謝罪し、己の行いを恥じ入った。
「どうかお気になさらないでください。日々のご活躍と苦心のほどは、以前からよく耳にしておりました。きっと貴女は、御心に適うお方なのでしょう」
 本心からの言葉だった。理菜の活躍は彼女の生まれ故郷にまで伝わり、しばしば賛否両論を巻き起こしていたし、現状を変えて生徒を助けたいと願う彼女を、慈しみ深き主が見守っていないはずはない。
「身に余るお言葉、痛み入ります」
 感謝の念を込めて、理菜は深々と頭を下げる。過去に引きずられ咎を負う身同士、通じ合うものがあるのだろう。理菜の行いを攻め立てることなく、むしろ背中を押してやる。そんな少女の態度を見て、理菜は彼女が自分より何枚も上手だと感じた。
「この国の高校生となった以上、この現状に無関心ではいられません。彼の気持ち次第では、一人の生徒として、あの子と共に貴女の活動に僅かばかりの助力をさせて頂きたいと思っています」
 一人の生徒としての、僅かばかりの助力。
 謙遜ではない。その「力」を使わないのならば、彼女の能力は普通の人間の範疇を超えたりはしない。発言の焦点はむしろ、彼女とセットでついてくる「彼」に向けられている。
 彼がこうなってしまった以上、その処遇は姉である少女が握っている。最終的な判断は彼に委ねられるとはいえ、彼女の言葉ひとつで事の行く末は大きく変わってくるはずだ。
「ご高配、感謝いたします。彼は貴重な戦力です。それに、我々の友人でもある」
 少女はふっと優しく微笑みかけた。病床の「彼」にではない、目の前の理菜に、だ。
「友人……あの子のことをそう呼んでくださる方が、ここにはいるのですね」
 よかった――少女の心の声を、理菜は確かに聞いた。
「勿論。皆、彼の帰りを待っています」
「そうですか……やはり、これも主の思し召しなのかもしれません」
 ここに来るまで、随分と回り道をした。なにもかも失い、全て振り出しに戻った。
 だが、今なら進むべき道がわかる。
 過去でも未来でもない。今という時の中に、それはある。
 きっとここなら、彼の幸せを見つけられるかもしれない。暖かな予感に、少女は僅かに鼓動が高鳴るのを確かに感じた。
 雲間の切れ目から最後の光を放ち、日が沈んだ。理菜はブラインドを上げる。窓ごしに薄明の空を見上げたのも一時、少女は回れ右してドアをノックした。外で控えていた生徒が、チーク材の扉を開ける。
「彼が目覚めたら、またご連絡ください。我々生徒会にも、彼のためにできることがあるはずです」
 背を向けたまま。挨拶は不要だろう。少女も振り返ることなく応じた。
「ええ、そのときは――――是非」

***

――RePose [beta] へ続く。

***

Author: Nitro (ナイトロ)

Twitter:@Nitro_xN

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?