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コロコロに教育的価値を

小学生男子の教科書

さて、今も昔も変わらず小学生男子が愛する雑誌第一位といえば、コロコロコミックでしょう。

私自身が子どもの頃に読んでいました。今我が子も読んでいて、半年ほど前から毎月買っています。その間にもしかしたら休載とかあるのかもしれませんが、きっとないのでしょう。

デンジャラスじいさん。カービィー。スーパーマリオくん。これらは私の頃からあった気がします。いわゆるレジェンド。

我が子が好きなのは、デカ杉デッカくん。ベイブレード。マイクラ。中でもでかすぎでっかくんは特にお気に入りです。「読んでみて~」と言ってくるほどです笑

そこで、私も久しぶりに読むのですが、親となり、教育者である今、コロコロを読むと、そのすごさに圧倒されます。

ということで、今回はコロコロにどんな教育的価値があるのかを熱弁します笑

コロコロとは

読んだことがない方のために、コロコロ(コミック)とは何かという説明をします。

ギャグマンガです。しかも小学生が好きそうな言葉がでてくるのが多いです。文字にするとなんかしょうもないのですが、うんこ。おなら。ぎゃー。えー。つまりは、排泄物や痛い系。まあ、これは小学生向けの笑いの取り方。

しかしですね、ちゃんと読むとそれ以外の笑いもちゃんとあるのです。というか素晴らしいのです。

2月号「星のカービィ」の中に出てくるテクニックを解剖します。
※私はお笑い評論家でなく、単なる教育者のはしくれです。

今月のはじまりは雪の上。いかにも楽しそうに雪合戦をしている絵を見せた上で、デデデ大王の「遭難してるんじゃけど-」というツッコミ。フリがあってのボケ。しかも雪合戦をしているときはデデデ大王はニコニコ微笑んでいる。逆側のフリのときはそれに合わせるという基本を抑えています。その上で、ツッコミのときには大きなリアクションで悲しい表情をしながらの言葉。これでフリとオチを学べます。

次のページをめくると、遭難の原因の本人であるカービィが「そうだった!なんでー?」と言います。そして、それに対し、周り全員で「おまえのせいだろ!!!!」というツッコミ。これの何がすごいって、キレルのでもなく、無視するのでもなく、ツッコミによる対応だということです。

しかもその後も引きずることはありません。変わらず一緒に過ごします。実際だったら仲間はずれにしたり、殴ったりしそうなところです。一見優しそうな「そんなことないよ」も嘘ですし、心の中にモヤモヤが残ります。ツッコミで対応。こんなやりとりが実際にできたら最高ですよね。コミュニケーションの仕方として素晴らしいです。

このあとも半ページに1回のペースで、やってはいけないことをしてツッコむというのが続きます。「〇〇するなー!!」が定番。そしてそのすごいのが、一般的に正義側(と思われる)のカービィがボケて、悪側(と思われる)のデデデ大王が正論でツッコむのです。ボケるのが悪いわけではないというのを示しています。

学校ではわざとかどうかに限らず、変なことをしてしまうと同級生からバカにされがちです。しかし、ツッコミが加わるとそれが笑いになります。これも友達との関わり方として素晴らしいなと思います。

そしてボケながらも状況に応じてどうするのが世の中の道理を教えてくれています。

遭難したときは小屋を探す。温まるには身体を動かす。寒いところで寝てはダメ。無駄な争いはダメ。ピンチのときはみんなで助け合う。

結局それぞれでボケてはいますが、言っている言葉は正しいものばかりです(寒いところで寝てはダメだけ科学的な理由がわかりませんが笑)。

人との関わり方。コミュニケーションの仕方。これが学べるだけでなもかなりのメリットです。今の子どもたちが何よりも必要としていることだから。しかも、はちゃめちゃなことだけじゃなく、世の中の道理も教えてもらえる。そして、当然出版社の審査も通っているから、子どもにふさわしくないものは広告も含めて載っていません。

たかがコロコロ。されどコロコロ。世の中に残り続けるものは、やっぱり素晴らしい。

結局なによ

さて、なぜ単なる教育者のはしくれの人間がここまでコロコロのすごさを熱弁するのか。それは価値付けの大切さを知って欲しいからです。

私はこれまで、ポケモン、人生ゲーム、マイクラなどの教育的価値を述べた記事を書いてきました。すべて一般的には遊びと言われるものばかりです。

親御さんなら子どもが遊んでばかりいると心配になることがあるでしょう。しかし子どもの遊びほど学びが広く深いものはありません。

教育の知識や経験があると、見えてくるものがあります。私は子どもの遊びの中に教育的価値がみえます。レントゲン写真一枚で病気の可能性を発見できる医者のように、一般の人から見ると価値がないものでも、ある人から見ると価値があります。

子どもが価値を感じているものと大人が価値を感じるものは全く別です。同じ価値を感じるものもあるでしょうけど、それは偶然なだけ。大人が無駄と感じる子どもの行動には、子どもにしかみえない価値があるのです(ちなみに私はジェットコースターとお化け屋敷に全く価値を感じません)。

そもそも価値を感じないものを子どもがやるわけがありません。そして私の経験上、大抵の場合そこには教育的価値が潜んでいます。あたたかく見守っていただきたいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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