家庭教育失敗記
教育者ですが
私は二人の息子の父親です。自分で言うのもなんですが、子育てについて真剣に考え、時間を使い、妻と協力して行っています。
仕事は小学校の教員をしています。教育に携わる人間として、日々どうしたらよいのだろう。よりよい方法はないかと自己成長を欠かさないようにしています。
つまり、一日の大半を教育という分野に注いでいます。教育書、育児書、雑誌、同僚からのアドバイス、さまざまな媒体から知識を身に付け、実践に生かしています。
しかし、そんな自分ですが、たかだか自分の子ども二人の対応に悩まされます。こんなに勉強したり教育の知識があっても、無理な時はあるよというお話です。
無理だった・・・
5歳の息子は優しく、素直です。私の言ったことも理解でき、会話もでき、活発に遊びます。親ばかですが、いいやつです。
一方、2歳の息子はめちゃくちゃかわいい顔していて、「はい、どーじょ」なんて言おうもんならイチコロです。ぎゅーってしようもんならぎゅーってしすぎて、しめつけてしまいそうです。
しかし、相手が嫌がるとかしてはいけないとか関係なく、自分のしたいこと、面白そうなことしかしません。簡単に言うと、わがままです。お兄ちゃんと同じものがいいと言うし、あれがしたい。あれが見たい。あそこに行きたい。喚き散らします。
今日は、働く車ばかりがでてくるDVDが見たいと叫んでいました。とても好きなDVDです。しかし、車に乗っていて手元にDVDがありません。どうさけんだって無理なのです。いつもは教育で学んだ知識を活かして、さまざまな対応をしておさめますが、今日はどうしてもだめでした。チャイルドシートを揺らし、危険と判断したので一旦車を止めました。
結局途方にくれ、最終手段のyoutubeで同じような動画を見せることでおさまりました。これは、私の知識ではだめな対応です。泣けばよいと認識してしまうからです。そうです。知っていてわかっているのです。
でも、無理でした。事故リスクのことも考え、強行することも無理でした。
落ちたときにささる言葉
そしていつものネガティブモードで、自己嫌悪。なんで私はだめなんだ。なんでうまくいかないのだ。なんでいうことを聞いてくれないのだ。しまいには教育者としても親としてもダメだ。そう思ってしまいます。妻は「そんなことないよ。よく頑張っているよ。」と励ましてくれますが、一度落ちた心はそう簡単に戻りません。
そんなとき、フォローしている方の記事を読みました。
「どうしたらできるのか」この言葉を見たとき、ささりました。どうしたらできるのか。それは私は知っています。しかし、目の前にはそれで通用しない我が子がいる。この矛盾を説明する方法はただ一つ。
どうしようもないこともある
もしかしたら方法はあるのかもしれない。それを知らないだけかもしれない。実践していないこともあるかもしれない。でも今の私の状態とメンタルを考えたら到底無理である。
子育てには無理な時もある。
こう考えることで、不思議と前を向ける自分がいました。とりあえず今は無理なんだから、少し時間をおこう。そしたらまたチャレンジしよう。そう思いました。
家についてしばらくしたら、子どもにはテレビを見てもらって心を回復しました。すると、実際に前向きになり、あれはどうだ、これはどうだというチャレンジをしたくなりました。そう、なんか無理な時はあるのです。
まとめ
健介さんの記事の言葉は私も知っています。なんなら自分も「いまできることを考えよう」という記事を書いています。しかし、その言葉を知っていながら意識はできませんでした。記事を読んだ時はじめて「そうか」と意識できました。
つまり、同じことを繰り返し伝えたり、知っていることを聞いたりすることにも大きな価値があると感じました。聞き手の状況によって、言葉が入るときと入らないときがある。だからこそ、大切なことほど何度も訴え続ける必要があると思います。
子育てをしている親御さんのお役に立ちたい。そう願ってnoteを書いています。親御さんに役立つ考え方を繰り返し伝えます。前の記事と同じやないか!と言わずに、お読みいただき良ければ応援してください!
最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。
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