柳宗悦さんの『南無阿弥陀仏』なかにある悲しみについての言葉が響いた。
先日読んだ「はじめての利他学」の最澄の「共苦する」ことと似ているように感じた。
そして、ネガティブなものだと思っていたものの捉え方が自分のなかで徐々に移ろう感じにどこか喜びのようなものを抱いていた。
南無阿弥陀仏の内容をシェアします。
悲しみを悲しむ心とは?
愛しくて悲しい
悲しいという感情は、できるだけ抱きたくないと思っていた。
映画で感動する映画を観たいのはなぜだろうと内省していくと、何かを愛しいと思える気持ちを大切にしたいからという答えに行き着く。
どうして、悲しいと思うのか。
泣きたくなるのか。
それは、その人との時間が愛しくて、失ってしまうことからなのかもしれない。
共に苦しむということも、ぼくには難しいことだと思っていたけれど、もしかしたら無意識のうちにやっていることかもとも思った。