思いもよらない発見を楽しむ

おはようございます。

今日は、昨日コルクの佐渡島さんがnoteに書かれていた『人は普遍。環境が変わる。』一節に共感した内容から考えたことを紹介していく。

手段と目的の話

作家は何のために描くのか? 
新人の時は、面白い物語を作りたくて描く。面白い物語を描くこと自体が目的になる。しかし最終的に、面白い物語を描くことは手段で、「人を知る」ことが目的になっていく。
人間とは何か?その答えなき、問いに答え続けるという行為が、描くという行為なのだと僕は考えている。

最初に掲げた目的が、描くことを通じてちょっとずつもっと大きな目的になっていく。きっと変わらない人は変わらないと思うのですが、僕はやりながら現実から学び、求めていた面白さの根源がもっと深いところにあったんだと気づくことがある。

綺麗にカットできるようになりたいという夢を掲げた美容師の新人が、髪をカットするなかで、その人がその人らしくあれること。「人を知る」というところにつながっていくように。

僕は、ドラゴン桜を描かれている三田には全く及ばないけれど、7年ぐらいブログを書きながら書くことで、「もしかしたら、あの人は〇〇ではなく△△と思っていたのではないだろうか?」と、気づくことがある。

あとは、登山の時にもそうだ。山頂にたどり着くことが目的だった頃から今は、一緒に登る人がいればその途中の会話。一人で登るときは、知らなかった花や虫などに出会うとワクワクする。

何か行動を続けていくと、ふと自分が想像もしていなかったことに出会えることがある。その瞬間が楽しくて。その瞬間からもっと広げていくたいと思えるシナリオのなさ、発見も楽しんでいきたい。

環境が変わると人も変わる

もう一つ。ドラゴン桜2の話のなかで1と環境が変わっているため、教え方がガラリと変わっているというのが三田さんのすごさだと思う。だから面白い。その思考は佐渡島さんは下記のように紹介されていた。

人間の本質という「抽象」を掴むために、様々な時代や境遇に置かれた人間の「具体」を知る。個別の具体を知る中で、時代を超えても変わらない抽象を掴む。この繰り返しの中で、作家は「人間の本質」を理解していくのだと思う。
『ドラゴン桜2』は、教育という自分も経験した出来事がテーマだ。教育現場が、過去とどのように変化しているのか、それを知ることで、時代の大きな変化を知ることもできる。もはや受験が関係ないサラリーマンでも、時代の変化を理解するのに、非常に役立つ作品になっている。

僕が歴史を学生の時からずっと惹かれているのは、「人間の本質」を理解していけるような気がしているからかもしれない。

学校で教わる出来事の暗記ではなく、一人の人物に焦点を当てて、時代背景や境遇を知っていくと人というものがちょっとずつ見えてくる。

最初は司馬遼太郎の描くストーリーが面白くて読んでいたけど、これまた思いもよらぬ自分の興味がどこから来ているかという発見から、小説だけじゃなく目の前の人への興味につながっていた。

このような感じで時々、訪れる偶然性を味わいながらも、自分の人生を柔軟に、だけどふと立ち止まって考えながら歩みたい。楽しみたい。

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