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自分の声を聴くということについて

皆さんは、自分の声を聴く機会がどれだけ日常のなかにあるだろうか。

散歩をするとき、手帳に1日のなかで起こったときを書き記すとき、無意識に流れている声を聴くことがあるかもしれない。

その声というのは、ポジティブなものばかりではない。

『chatter』という本では、このような頭の中でのしゃべり声について紹介されている。

チャッターを構成するのは、「循環するネガティブな思考と感情」だ。こうした思考や感情は、内省という素晴らしい能力を祝福ではなく呪いに変えてしまう。私たちの行動、意思決定、人間関係、幸福、健康を危険にさらすのだ。  
私たちは仕事での失敗や恋人との諍いについて考え、最後には否定的な感情で頭の中がいっぱいになってしまう。それから、再びそのことを考える。さらにまたしても考える。私たちは内省によって「内なるコーチ」に助けを求めようとするが、それに代わって「内なる批判者」に出くわすのだ。

『Chatter(チャッター)―「頭の中のひとりごと」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法』イーサン・クロス著

そんな言葉が反芻してしまうから、苦しくなることは、いまだにある。

それとは、反対に内なる声は、望んでいない道へ進むことへ踏み止まらせる力も持っている。本当にそれでいいのか?と。

そのことによって相手の傷つくような言葉ではなく、配慮したうえでの行動を選ぶことだってできる。

自分の声との付き合い方

音声配信を始めて、自分の声を心のなかで聴くというよりも、本当に聴くことが増えた。

音声収録を終え、編集をするときに聴く。

編集して配信開始した後も、定期的に聞き直すことも多い。

最初は自分の声は好きではなかったけど、ちょっとずつ慣れてきた。

自分の声を聞き返すだけでなく、その場で話してみるとちょっとした違和感にも気づく。

あれ、なんか違うなと。

これは、noteに書いてみては、言葉を修正する行為に似ている。

誰かと話してみて、その場を凌ぐ言葉になっていないか。

外に出してみるからこそ、わかることもある。

距離を置くことでチャッターを鎮めるためのさまざまなツールは知っていた。「こっそり他人を観察」する視点をとる、中立的な傍観者の視点に立つ、将来自分がどう感じるかを想像する、日記をつける、などなど。

『Chatter(チャッター)―「頭の中のひとりごと」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法』イーサン・クロス著

自分のことは、自分がわかっているようで、わからないことは多い。

さまざまな出来事にどう反応するのか、自分が予期しないことに巻き込まれていくこともある。

ただ、自分の望まない後悔の残るような選択はしたくない。

そのときに、声を聞こえたり書き出したり、と外に出すことは良いのかもしれない。

それが、いまできる自分の内の声との付き合い方だと思っている。

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