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遊ぶとは、手段ではなく目的

本日、公開された超相対性理論の音声を聴きながら走っていると、とても自分が関心のあるテーマだったので、すごくテンションが上がった。

テーマは、真面目に遊ぶ人類の謎。

遊ぶって何だろう?と考えていたこともあり、すごくヒントが詰まっていた。

きっと帰りの車のなかでも聴く。

その内容は、誤解を恐れずに言えば、その行為自体が目的になっていたら遊び。

そして、手段となった瞬間に仕事などに変わっていくというような内容だった。

その発想は、以前書いた無目的的に近いと感じたのだ。

そのものを味わいつくす時間を

移動するときに歩いているのと、散歩を目的にしてぶらぶらするのでは楽しさが全く違うということを先日、体感した。

趣味を仕事にしたくないというのは、この気持ちに近いのかもしれない。

日常のなかでどれだけ、そんな心地よい時間をとれているだろうか?

きっと、この遊ぶ時間からいつの間にか学んでいるし、豊かにしてくれる。

明日、平日に休みなので、サーフィンに初めて挑戦するのだけれど、そのもの自体を存分に味わいたい。

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