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本当の要因はどこにある?

ほぼ日の手帳で糸井重里さんの言葉に、そうだなぁと思った。

練習の足りない人や練習しない人はさぼりたいというより「どういうことを練習したらいいか知らない」のだ。
どういうことをどれだけなるとうまくいくのか、そんな練習の方法や達成を知っていたら、まったく状況は変わってくると、ぼくは思っている。

糸井重里が『今日のダーリン』の中で

あの人は、サボりだと決めつけてしまうのではなく、何でそうだってんだろう?と問うこと。

例えば、学校の宿題もそうだ。

基礎の部分からついていけない児童が応用の問題を解いてこないのではなく、解けないのかもしれない。

どう問いていいのかわからないから。

やりたいという気持ちは、自分で理解できて解けたという成功体験から生まれるときもある。

要因は一つとは限らない

もちろん、やり方や達成方法がわかっていても、やらないという選択をすることもあるだろう。

体調がすぐれないとか、ゆっくり休みたいときもあるから、結局は話してみるほかない。

相手のことをどこまで知って、どのあたりを委ねて手放すことが適切か。

その答えは、その人との関係性のなかで考えていくことを続けるほかないとも思う。

成長するし、気持ちにも浮き沈みもあるから。

それは、自分にも当てはまる。

だから、朝のちょっとした時間に紙に書き出して、やることを書いて調子を書いてみたり、

後回しにする?とか

今日は勝負だ!とか声かけて職場に向かう。

これどうしたら、いいんだろう?と思ったときは、誰に聞くか。本で調べるか。など選択肢を書き出していく。

プログラミングや科学の世界では、要因は共通する何かの可能性が高い。

だけど人のサボってしまう要因なんてものは、変わりゆくものだ。だから固定化させずに、じっくり見つめながら進めていきたい。

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