見出し画像

人を信じるということ

天才子役としてご活躍されていた芦田愛菜さんの「信じる」ことについて聞かれた回答が話題になっていると知って、読んでみました。

すると深くて自分が信じるをどのように捉えているだろうか?とか色々と考えさせられたのです。

今回は、芦田愛菜さんの言葉から信じることについて考えていきます。

信じるとはどういうことなのか?

では、芦田愛菜さんの回答はどのようなものだったのでしょうか?

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

なんというかとても分かりやすく、それでいて在り方として素敵なものだと共感をしました。

ぼくは、信じると自分の期待を裏切られたときに辛いからあまり期待しすぎないようにしています。

ただ、これってなんだから空しいというか、自分の気持ちをコントロールするために相手のことを信じないというのは、嫌でした。それだったら心が乱されてもいいから信じる道を選びたいというのが本音です。

それもその人なんだと受け止められる、人との向き合い方。失望するとかではなく、その人の見えない部分にも気持ちを向けられるような人であることが信じるという行為のなかで忘れられやすいところなのかもしれません。

対話をして相手を知っているかどうか

また必要以上に期待しるぎる前に、相手のことをしっかりと理解していくことに努められているかどうかは前提として持っておきたいものです。

相手が新入社員でまだどれぐらい仕事ができるかどうかわからないのに、求めるレベルを自分の基準値から期待して信じてもそれは双方にとって苦しくなるでしょう。

信じるためには、相手がどんな気持ちなのか?とかプライベートが順調かどうかとかあらゆることを知っておくと「信じる」ことの差異が生まれにくくいい関係を作っていけるのではないでしょうか。

なので、ぼくは普段からのコミュニケーションを図るなかで、相手を知ることをし続けていきたい。それは、仕事の成果とかもあるけれど、一緒に働く以上ある程度のことは知りながら、いい距離を保ちながら臨みたいという気持ちからです。

皆さんは、信じるとはどういうことだと思いますか?

信じるに限らず、自分が使っている言葉をどのように捉えているか見直していくと行動も変わり、より人生は深まっていく気がしています。



この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,728件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?