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人には人の24歳

僕は田舎に住んでる、24歳のいい歳したバンドマン。

職業、アパレル販売員。たまに被写体(モデルのようなもの)もやりながら、コロナに振り回されながら生きている。


そう、本日をもって24歳になったのが僕。

おめでとう自分。24年もよく生きた。散々な一年だけど、ギリギリのところでよく頑張っている。

そんなことを言うと、

”いや、私の24歳の頃は〜” ”24年生きたくらいで〜”

なんて言われる。てか言われた。

みんなも言われてきたのだろうか。これを読んでくれている人は何歳なのかわからないが。

年上というだけでマウントをとられ、年上というだけで自分が偉いと言われ、年上というだけで自分は仕事ができると錯覚している人を僕はたくさんみてきた。

なんでそんなに人と比べるんだろう。という純粋な疑問があった。すごく大きな疑問だった。だってそうじゃないか。

年齢=実力,経験,実績,優秀さ。

一部ではあるが、年齢と実力や性格、大人っぽさとかなんとか。正直比例しているとは思えない”大人”だっていた。なのにどうして年齢でマウントを取ろうとするのか。たかが1年10年先に生きている”大人”の方たちが経験してこなかったことを、僕たちは経験したりもしているだろう。


まあこの答えはいろんな心理学の人(?)が言っているが、承認欲求が云々かんぬんでマウントを取ることによって自分が気持ち良くなるため、が理由なのが大半らしい。悪口を言うとスッキリするあれに似てるのかな。

確かにそう言われると、なるほどわかるかもしれない。と思ってしまう。だって言ってしまえば僕がこうやって書いてる内容だって、見方によれば悪口だしね。

でも言ってないとやってられない。なるほどそう言うことか。と納得してしまった。人間皆同じなのか。

でも、馬鹿な僕でも一つ言えるのは、


時代は常に変化しているのであってそれに適応して生きてきたのが人間なのだ。

戦争があり、終わり、日本が発達し、大都市ができ、インターネットが普及し、誰でも手ごろに使えるようになり、仕事にも活用し始めたり、インターネット社会をうまく活用した職業も出てきた。Youtuberがいなかったら、今世界はどうなっていたのか。なんて考えてもわかんないけど、

確かに日本は、世界は変わってきたし、人間もそれを利用して便利な国を作ってきたではないか。

それなのに都合の良い時だけ、”昔はな”を使うのは甚だ良い加減だと思うし、都合の良すぎる、少なくともなりたくない大人だなあと思う。し、ならないように努力もしている。

残念ながらそんな、”昔はな”と古いお考えをお持ちの”大人”はたくさんいる。

そんな”大人”と会話するたび、かわいそうで仕方なくなる。ああ、現代社会に適応できずに昔の自分を思い出しては戻りたいなんてかなわない夢を見て時間と労力を無駄にしているんだかわいそう。(大悪口)


でも実際こんなことを頭の中で言ってやることによって、かわいそう。と思うだけで怒りは湧かなくなった。結構おすすめだ。



僕が結婚して、子供が生まれたら。そう言う大人にならないように反面教師にしている。

まあ結婚どころか彼女ができる目処すらないんですけど。

みんなは24歳の時、何してたんだろう。

少なくとも僕みたいにフラフラはしていないだろうなあ。


見つけてくれてありがとう。自分なりに思ったことや絶対大声じゃ言えない理不尽だって思ったことを描いてみてます。よかったら少しだけお時間ください。